2007年6月2日、イタリア・ナポリの日記

旅の日記、今回は2007年6月2日に書いたイタリアはナポリ編です。
日記にも書いたように、このときの滞在はライヴ三昧&ピザ三昧。ひたすら遊びまくっていたわけですが、今だったらナポリでナイト・クラビングをした後、プーリア州に足を伸ばして同地発祥の民族舞踊「タランテッラ」の取材をするだろうな。毒蜘蛛(タランチュラ)に刺された場合の治癒行為がタランテッラのルーツにはあるそうで、アジアの古い芸能に強い関心を持っている僕にとってはずっと気になっているテーマでもあります。特に「蜘蛛」という存在/表象が中世の日本でどのように扱われてきた考えると、重なり合うものは決して少なくないんじゃないかと。そして、(下の日記では触れていませんが)そんなタランテッラと出会えたのもこの旅の成果でありました。
なお、こちらの映像は映画「血の記憶(Sangue Vivo)」のトレイラー。タランテッラ同様、南イタリアの伝統音楽であるピッツィカが印象的に使われています。

ナポリ!おそらく今回の旅のなかでも印象深い街のひとつとして記憶に残るのではないでしょうか。
僕自身、イタリアはそれほど思い入れのある国ではありませんでした。その後シチリアに渡ることになっていたため、その経由地としてナポリを訪れた、それぐらいの意識しかなかったとも言えるかもしれません。ですが、結局のところ、予定していたローマにもアッシジにも行かず、ナポリで予定外の長居をしてしまったのでした。

ナポリ……南イタリアの風光明媚な気候に包み込まれた、歴史ある街。と思ってナポリ駅を降り立ってみたら……汚い!臭い!うるさい!インドを訪れたことのある方なら、ムンバイをイメージしていただけるといいかも。その汚さはハンパなものではなく、交通ルールを無視しまくった車の往来も壮絶そのものです。 そのなかをしばし歩き、今回の宿泊先に向かったのですが、これまた周囲はアフリカ人街。中心となるのはカメルーン、エチオピアからの移民らしく、少し歩けば中国やアフガニスタン、トルコやマグレブからの移民も多数。ホテルの宿から見える景色は……ここはニューヨークですか?
僕らはそんな移民街のド真ん中にある宿に宿泊していたわけですが、同じ宿に泊まっていた日本人の若いご夫婦はそんな環境にドン引きしたのか、すぐにチェックアウトしてました。僕らは次第に居心地がよくなってしまいましたが。

ナポリに滞在して見えてきたのは、「(ニューヨークでいえば)イースト・ヴィレッジのように文化的な学生街」「(上記のような)移民街」「高級住宅街」「多くの観光客が旅の拠点とする観光地域」というふうに、それぞれのエリアがはっきりと分かれているということ。そのなかでもナポリ大学を中心とする学生街はカッティングエッジな音楽発信地としても機能しているようで、ライヴ・イヴェントのフライヤーをたびたび目にしました。

そこで観ることができたのが、UKニュールーツの代表的ユニットであるアルファ&オメガのショウ。なんでナポリまで来てUKニュールーツ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ブダペスト編の日記でも触れたように、ヨーロッパにはレゲエ・カルチャーがアンダーグラウンド・レベルで根付いてるんですね。で、この日アルファ&オメガを招聘していたのが、ナポリのオーガナイザーにして左翼団体とのコネクションも太いOFFICINA 99。以前(同じくニュールーツ一派の)ザイオン・トレインの二ール・パーチにインタヴューさせてもらったとき、「俺らも人権団体や左翼系団体の活動支援のためにノーギャラでライヴをやっているんだ」などと話してくれたことがあったのですが、そうした「レゲエ×市民運動」といった構図をアルファ&オメガのライヴで目の当たりにできるのでは?と思いから、僕らは会場となるナポリ大学建築学部の校舎を訪れたのでした。

OFFICINA 99についてもう少し触れておくと、このクルーはナポリ中心部で同名のクラブ・スペースも運営していまして、そこではナポリのアンダーグラウンド・ヒップホップを牽引する99POSSEや、マヌ・チャオを筆頭とするレディオ・チャンゴ一派とも繋がりのあるALMAMEGRETTA(CDをゲットしましたが、クールなダブ・サウンドでムチャクチャかっこ良い!)らが拠点にしているとのこと。後日、このクラブ・スペースも訪ねてみたのですが、結局発見できませんでした。それもそのはず、ウェブで確認したところ、思いっきりスクワッド(空き家占拠)! 


さて、肝心のアルファ&オメガのライヴですが、集まっているのはナポリ大学の学生が中心。海賊ラジオの活動支援のためにケーキを売っていたりして、なかなかいい雰囲気です。まず会場を暖めたのは、地元のサウンドシステム。ルーツからニュールーツ、渋いオールド・ダンスホールなどをバランス良くプレイしていました。
ちなみに、会場は大学の構内といっても、メイン・ストリートに面した吹き抜けの広場。そのため、会場外にも爆音が鳴り響いています。そこでアルファ&オメガが登場。容赦なくぶっとい低音をブチかましてくれます。スゲエ音!
もちろん観客のなかには3ユーロ(約460円)の入場料の安さに惹かれてやってきた学生も少なくないわけですが、なかには明らかにレゲエ中毒であろうドレッドロックスの連中もいましたし、気合の入ったパンクスの姿もチラホラ。ラスタマンと左翼学生と運動家が混ざり合った会場内の雰囲気がおもしろかった!
3時ごろには疲労のため退散。古ぼけたラガ・ヒップホップを鳴らすタクシーに乗り込み、ホテルへの道がわからず売春婦のおねえちゃんに道を尋ねる運ちゃんに連れられてホテルまで帰還したのでした。

音楽ネタからは外れますが、ナポリは何と言ってもご飯がおいしい!地元民たちも行列を成す老舗ピザ屋「ダ・ミケーレ」などはメニューがマルゲリータとマリナーラしかないハードコアなピザ屋なのですが、ピザの概念が大きく変わるほどの美味しさ!しかも、2人で腹いっぱい食べて10ユーロ(約1600円)。8日間の滞在中、実に4回も行ってしまいました。

とにかく汚くて臭くてうるさいナポリだけど、刺激的なアンダーグラウンド・カルチャーあって、各地からの移民を巻き込んだおもしろい文化的融合があって(サルサやメレンゲのパーティーや、アフリカからの移民主催によるパーティーもたくさんあるよう)、食事がおいしくて、何よりも人情味溢れる土地(バーリなどでも同様ですが、道に迷っているとかなりの確立でおばちゃんが声をかけてくる!) 。今後、ナポリ版の映画「クロッシング・ザ・ブリッジ」が作られるほど、シーンが成熟していく可能性もあるのでは?いやー、ナポリはおもしろい町でした。また行きます!

1週間で3本のトークイベント!

先週は一週間で3本のトークイベントがありました。ここ最近トークをやる機会が多いのですが、さすがに1週間で3本は初めての経験。

6月7日(土)は昨年3回ほど講座を開かせてもらった「オトトイの学校」の特別版。「DISCOVER NEW JAPAN RETURNS この祭へ行け2014」と題して、今年見るべき祭りや伝統芸能をゲストのみなさんと共にご紹介しました。
ゲスト講師は西嶋一泰さん(『MATSURIsta!』編集長)、noa kobayashiさん(明日襷)そしてゲスト・ライヴに浜見舞の2人。トーク&ライヴどちらも熱気のこもったもので、僕も最高に楽しんでしまいました!特に衝撃的だったのが、青ヶ島出身の荒井康太くん(浜見舞)が持ってきてくれた、昭和40年代の青ヶ島の神事の映像。完全に神懸かりに入った女性たちのステップはトラウマ級のヤバさでした。そして、それを見ながら「うわ、ヤバイ!」と盛り上がってくれるお客さんも最高だなあ、と(笑)。
しかも会場は近年「酒場音楽祭」を開催して話題を集めている庄や青物横丁店。酒場の大広間でディープな神事の映像を観る、その楽しさはなかなかのものでしたよ。悪天候にも関わらず、満員御礼。来てくださった皆さんに心から感謝いたします!(下の写真の撮影はケイコ・K・オオイシ)
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そして6月12日(木)は先日刊行された「大韓ロック探訪記」出版記念トークイベント@新宿dues。お相手はもちろん「大韓ロック探訪記」著書の長谷川陽平さんです。
以前から長谷川さんとのトークイベントはリクエストが多かったため、この日のイベントもチケットの販売開始からわずか数日でソールドアウト!長谷川さんの人気ぶりを改めて実感しました。
この日は2時間に渡り、長谷川さんが大韓ロックの魅力をレクチャー。長谷川さん所有のポンチャック・マシーン(ポンチャックで使われるリズムマシーン内臓のキーボード)試奏タイムもあり、90年代に撮影されたホンデのインディー・シーンの貴重映像あり、シン・ジュンヒョン&ヨプチョンドゥル出演のカルト・ムーヴィー「美人」(74年)の上映あり……と盛りだくさんの夜となりました。
長谷川さんとのトークイベントは今後も定期的にやっていきたいと考えています。なにせまだまだネタはありますので……。

そして14日(土)はタイ音楽のコレクター・チーム、SOI48とのトークイベント@渋谷LI-PO。音楽雑誌『CDジャーナル』で彼らがやっている連載「いってきます。(ちょいとアジアのレコ屋まで)」との連動企画とのことで、SOI48の2人にタイ音楽、特に彼らが専門的に掘り起こしているモーラムのディープな世界をナヴィゲートしてもらいました。
なにせ首都バンコクではすでに掘り起こすレコードがないからと、なにもないド田舎まで足を運び、タイ語で「レコード買います」と書いたTシャツ着用で町中を歩くというキ○チガイじみた2人です。予想を遥かに超えるディープでマニアックなトークが繰り広げられました。いやー、こちらもおもしろかった!

なお、6月28日にはそのSOI48がオーガナイズするパーティーがあります。なんとモーラム界のスーパー歌姫アンカナーン・クンチャイが初来日!「誰それ?」という方も足をぜひ足を運んでみてください。10年後には「ええっ、あのアンカナーン・クンチャイの来日公演を観てたんですか!?」と自慢できるかも。
詳細はこちらでどうぞ!
http://soi48.blogspot.jp/2014/05/628sat-soi48-vol10-angkanang-kunchai.html
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2007年10月13日、ボリビア・ラパスの日記

旅の日記、今回アップするのは2007年10月13日に書いたボリビア編です。思い返してみると、首都ラ・パスは何とも特徴的で魅力的な町だったな。
なお、この旅ではラ・パスの「一番ホテル」に大変お世話になりました。オーナーの南雲さんには何から何まで助けていただき、今も本当に感謝しております。あれから7年、南雲さんはお元気でしょうか?

どうもこんにちは。
現在、僕らはブラジルのサンパウロにいます。数日前まではブラジル内陸部パンタナールのジャングルでピラニアを釣ったり野生動物を見ながらまったりしていましたが、サンパウロはさすがの大都会。久々の都会生活にいまだ馴染めずにおります。

……さて、ボリビア。
日本人旅行者としては珍しいほうだと思いますが、有名なウユニ塩湖にも近郊のコロイコにも行かず、ほとんどの時間を首都ラ・パスで過ごしました。その理由としては、まずラ・パスの居心地がとても良かったこと。もうひとつは、その標高の高さになかなか身体がついていかなかったことがあります。

ラ・パスという町には不思議な魅力があるんですよ。
インディヘナ率が高いこの町には、山高帽を被ったいかにもインディヘナ!という感じのオバちゃんがたくさんいます。ガヤガヤとした騒々しさもたっぷり。人々の間にも活気があって、どこかインドにも似た雰囲気があるんですね。
じゃあツーリスティックかというと、決してそれだけでもない。もちろん、観光の中心となるサガルナガ通りには欧米の観光客もたくさんいるんですが、少し離れると庶民の生活を垣間見ることができて、それがなによりも楽しい。庶民の街であるエル・アルトの日曜市にも行ってみましたが、こちらも活気があって実に楽しかったな。「地球の歩き方」にはエル・アルトについて「貧民街」と書いてあったけど、どちらかというと「庶民の町」という感じ。まあ、決して治安がいい場所とは言えないでしょうが……。

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ただ、3,650メートルという標高の高さ、これが予想以上にキツイんすよ。エル・アルトなんて4,000メートル越えですからね。多少ペルーのクスコで高地には身体が慣れたかと思ってたんですが、なかなかキツかった。
まず身体が異様にダルイ。少し動いただけでも息が切れるから、動くこと自体がめんどくさくなる。 そんなときに限ってボリビア以降の旅程をまったく決めていなかったものだから、やらなきゃいけないことがあるのに時間だけが過ぎていく。そして、どんどんネガティヴになっていく——。一時は「ひょっとしたら僕らはこの町から抜け出せないんじゃないか?」とすら思いましたからね。
話はズレますが、クンビアという音楽がありますね。コロンビアを原産とし、中南米一帯では非常にポピュラーな音楽のため、ラ・パスでもあちこちでクンビアが鳴ってます。で、高山病でキツイとき、このクンビアのポンスコポンスコという単調なビートが神経に触るんですよ。高山病にかかったことによりクンビアの呪術性のようなものに少しだけ触れることができたのだとすれば、高山病で苦しんだのも決して無駄じゃなかったのかもしれませんが……。

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ラ・パスの音楽事情の話も少々しておきます。
テアトロ・ムニシパル(Teatro Municipal)という歴史ある劇場が街の中心部にありまして、僕らは連日この劇場に通っていました。なぜかフリー・ジャズの大御所であるハン・ベニンクや(ボリビアはかなりジャズが盛んな土地。ハン・ベニンクの前座を務めた地元のトリオもなかなか達者でした)ボリビアン・フォルクローレの面々が出るプログラムも良かったのですが、なによりも会場が素敵。インドはチェンナイのミュージック・アカデミーを思い起こさせる、とても雰囲気のある劇場なんです。しかも入場料が15~30ボリビアーノ(200~450円)。日本でもこんな劇場でライヴを観れたらいいのに!
ラ・パスにはペーニャというフォルクローレ専門のレストランも数多くあるのですが、こちらで演奏されているのは観光客向けのフォルクローレ。あえて言ってしまうならば、「コンドルは飛んでいく」系の「いかにもアンデスのフォルクローレ」といった感じです。
一方、テアトロ・ムニシパルで演奏されているのは、より洗練された現在進行系のボリビアン・フォルクローレ。なかでも2日に渡って単独公演を行ったピライ・バカのライヴは涙ものの素晴らしさでした。ボリビアに来る機会があれば、テアトロ・ムニシパルにはぜひ行ってみてください。良質のボリビアン・ミュージックと出会えますから。

ラ・パスのあとは、ブラジルにも近いサンタ・クルスという街を訪れました。こちらは標高が低いぶん、一気に熱帯らしい暑さに包み込まれていました。タイ南部にも似た、不思議な魅力に溢れた街だったな。少し治安の悪さも感じたけれども。なお、フォルクローレ的にはこのサンタ・クルスも重要地で、ラ・パスのものとは違う、南国らしい陽気さに満ちたフォルクローレの音源を何枚か手に入れることができました。

そんなわけで、ここサンパウロでしばしライヴ鑑賞なぞをしたあとは、リオ・デ・ジャネイロ~サルヴァドールへ。その後は一気にキューバへと飛ぶ予定です。では、また。