「炭坑と失業者の町」を音楽と祭りの力で変える試み――福岡県田川郡香春町香春「オザシキオンガクフェスティバル」

写真/ケイコ・K・オオイシ

「筑豊」という地名を聞くと、全国市町村都市ランキングでもワーストに入るほど高い失業率と生活保護受給者数など、ネガティヴなイメージを持つ方も少なくないことでしょう。僕にしても土門拳撮影による写真集「筑豊のこどもたち」(昭和35年)や映画「青春の門」シリーズで伝えられてきた「荒廃した炭坑の町」というイメージをつい最近まで引きずっていたものでした。

そうした印象が一転したのは2年前、「炭坑節」でも歌われている霊山、香春岳の麓に広がる田川郡香春町の盆踊りを取材させていただいて以降のこと。そこで触れたのは、新盆のお宅を回る香春独特の盆踊り文化であり、古代より朝鮮半島や中国と密接な繋がりがあったという歴史の厚みであり(『宇佐八幡と古代神鏡の謎』という研究書では田村圓澄さんが<「香春/カワラ」という地名は、新羅から渡来した神を祭る山の名「カハラ」からきているのではないか>と書いています)、そして何よりも、その土地に住む人々の優しさとエネルギッシュな魅力そのものでした。そのときの体験は7月に刊行された著作『ニッポンのマツリズム』にも記しましたが、2年前の取材以降、僕にとっての田川とは「荒廃した炭坑の町」ではなく、全国的に見ても極めてディープな盆踊りの文化が息づく土地であり、大好きな人たちが住む特別な街になったのです。

とはいえ、過疎や高い失業率で苦しむ現状は田川の紛れもない現実。そんな故郷を音楽の力で変えるべく昨年からスタートしたのが、「オザシキオンガクフェスティバル」というDIYフェスです。この15日にそのフェスが開催されたのですが、光栄なことに僕も祭り映像上映&DJで出演させていただきました。
「オザシキオンガクフェスティバル」実行委員代表の大石勇介くんと竹野大喜くんは2人とも数年前に田川に戻ったUターン組。2人ともDJとして活動してきたこともあって、それぞれの活動のなかで培ってきたネットワークを活かし、九州を中心とする各地で活動するアーティスト/DJが出演しました。

会場はもともとユニクロの店舗だった場所。体育館ほどの広さのあるその会場に畳を敷き詰め、そこに2つのステージとさまざまなブースが立ち並ぶ光景はまさに「新しい街」。Uターン組である勇介くん&大喜くんたちと地元の人たちが協力しあいながら、何もなかったガランとしたユニクロ跡地にひとつの祝祭空間を作り上げてしまったわけで、そこまでの苦労は僕などの想像を超えるものだったはずです。また、主催の勇介くんたちと地元の人たちとの間を繋ぐ重要な役目を果たしていたのが勇介くんやスタッフのご家族だったことにもとても感銘を受けました。「若者たちのための音楽フェス」というよりも「家族ぐるみの地域の祭り」。それゆえに2回目の開催にして、早くも田川の風景にすんなり馴染んでいたように僕の目には写りました。

個人的にはこれまでずっと会いたかった九州各地のみなさまと一気に会うことができたのも嬉しかった。東京にいるとなかなか見えてこないことですが、九州はローカルを盛り上げるべく奮闘している方々が各地にいて、それぞれが太いネットワークで繋がっています。そうしたミュージシャン/DJ/関係者があそこまで一挙集合することもなかなかないことでしょう。僕としては豊田の仲間であるALKDOの2人、大阪の仲間であるROJO REGALOのPICOさん&キョンキョンもやってきたということで、各地のDIYネットワークが一気に繋がってしまったような感覚もありました。
祭りの最後を飾ったのは、2年前に取材させていただいた香春町の盆踊り団体のみなさん。地元のおばちゃんもパンクスも子供も酔っぱらいもライターも(これは僕です)ひとつの輪となってグルグルグルグル。踊りの輪が止まったあと、ひとりの女性がボロボロと涙をこぼしながら「いい祭りでしたね」と僕に一言、僕もその言葉で涙腺崩壊です。盆踊り後のあの感動はまだちょっと言葉にすることはできません。岐阜の白鳥おどりや徳島の阿波おどりを体験した後、その興奮をうまく言葉にできないままボロボロとひとり涙したことを思い出しました。
集う人々の熱量と手作りならではの破天荒なおもしろさ、鳴り響く音の逞しさ。一回目の「橋の下世界音楽祭」(愛知県豊田市)でも感じた、胸の奥がカッと熱くなる感覚を「オザシキオンガクフェスティバル」でも感じることができました。

祭りが終われば、あの空間に集う人々も各自の「ローカル」に戻り、今頃それぞれの活動を再開させているはず。僕もすぐに締め切りに追われる生活へと戻ったわけですが、「九州にはオザシキオンガクフェスティバルを共に体験した仲間たちがいる」という感覚が僕のなかで失われることはないでしょう。自分たちの足元を自分たちなりのやり方でおもしろくしている人たちと繋がりながら、自分なりのやり方で少しでもこの世界を色鮮やかなものにしていくこと――それこそが僕の本当にやりたいことなんだと再認識させてくれた「オザシキオンガクフェスティバル」。あの奇跡的な瞬間を共有したすべてのみなさんに感謝。また一緒に踊りましょう!