阿波おどりの熱狂が残る徳島への旅

NHKラジオ徳島放送局の「あわ☆メロR」に出演するため、久々に徳島に行ってきました。前回訪れたのは6年前、阿波おどりの真っ只中の8月。そのとき受けた人生観を揺さぶるほどの衝撃については昨年の著作『ニッポンのマツリズム』(アルテスパブリッシング)で記しましたが、それ以来の徳島です。

「あわ☆メロR」の放送ではミュージシャンの坂東道生さん、NHKアナウンサーの高山さんと3人で阿波おどりの魅力と可能性について楽しくお話してきました。徳島で阿波おどりについて話すということは、僕にとってはジャマイカのキングストンでレゲエに関する講演をするのと同じ。若干緊張しましたが、坂東さんと高山さんのおかげでリラックスしてお話しすることができました。

今回の旅ではもうひとつの目的がありました。
江戸時代末、現在に繋がる阿波の踊り文化が急速に発展した背景には、阿波の藍商人たちの存在がありました。裕福な藍商人たちは阿波の踊り文化を経済的に支える一方、各地を回りながらさまざまな文化を吸収、それを阿波へと持ち込みました。大島紬を作るために多くのすくも(藍の葉を原料とする染料)を必要とした奄美や、藍を育てるための肥料を生産していた熊本の牛深へと藍商人たちは立ち寄り、それぞれの土地の歌とリズムを阿波へと持ち帰ったのです。『ニッポンのマツリズム』でも書いたように、阿波おどりの背景にはそんな藍商人たちのネットワークがありました。

僕はいつかそうした藍商人たちのネットワークを一冊の本にまとめられないかと考えてきました。歌とリズムを伝えた、海のシルクロード。そんなイメージをぼんやりと頭のなかで思い描いているのですが、放送の翌日はその企画の下調べに費やしました。藍住や佐古などの地域を半日かけて自転車で走り回ってきたのですが、目的のひとつだった博物館「藍の館」が休館日でがっかり(笑)。とはいえ、いろいろと得るものもありました。とても印象的だったのは、徳島市南内町のカフェ/レストラン「Deili」(ステキなお店でした!)を営む河田真知子さんがおっしゃっていた「藍染と農業は繋がってますからね」という言葉。農業はそのまま人々の暮らしにも直結するわけで、勉強すべきことはまだまだ多そうです。

ちなみに、上の屏風絵は江戸時代の絵師、吉成葭亭が幕末の阿波に花開いた盆踊りの熱狂を瑞々しく描いた「阿波盆踊図屏風」(1850年)。ひとりひとりが思い思いのスタイルで踊り、着るものも多種多様。あらゆる多様性を内包したこの絵図が僕は好きで好きで仕方ないのですが、この絵のレプリカを阿波おどり会館で観れたことも大きな収穫でした。もちろん一糸乱れぬ現在の阿波おどりも素晴らしいですが、その背景にはいまだこうした多様性があり、その多様性の糸を解きほぐしていくと、その糸は南九州や南西諸島に繋がっているような気がしてならないのです。

10月にもまた徳島にお邪魔することになっているので、その際あらためていろんな方にお話を伺おうと思ってます。今回お世話になったみなさま、本当にありがとうございました!(大石始)

三陸のお盆 その1

毎年お盆になると祭りや盆踊りを撮影しに行く。でもずっと太平洋側の東北へ行くことを避けていた。海は怖いからだ。
お盆は天に帰られた方々が家に戻ってくる時期であり、また同時によからぬものもこの世に降りてくる時期でもある。

宮古は雨が10日近く降り続いていた。湿度は高いが、真夏だというのに長袖でも寒いし、濃霧のため日中でも薄暗い。
街中でお盆の迎え火用の提灯を手にした家族連れをちらほらと見かける。

東北なまりがいい味だしているレンタカー屋のお兄さんが気さくに話しかけてくれる。
「このカーナビ古いんです、新しい別のナビもあるんだけど…使い方がわからんもんで、ははは。すみません。」
私は深く考えず「あまり古いと道が変わっていますよね」と答えると、
「震災で道が激しく変わってしまっているもんで。しかも今工事しててどんどん新しい道ができるから、私たち地元の人間はみんなスマホのナビやグーグルマップを使ってるよ。1週間ごとに更新してるから、これが一番最新なんだよね、結局。だからカーナビ役に立たないんだよね」

私はカーナビがおいつかないくらい道がどんどん新しくなっているなんて、レンタカー屋のおにいさんに聞くまでまったく知らなかった。復興道路を作っている真っ最中だから考えて見たら当然のことかもしれないけど、結構ショックだった。

「おねーさんのいきたいホテルは、右に出てまっすぐいけば右側にあるから!」
「結局おにいさんがナビしてくれちゃったね。やっぱりナビいらないね!」
「あはは!お気をつけて!」

おそるおそるレンタカーを走らせると、復興道路の工事中の様子がぼんやりと霧の中に浮かび上がって視界に入ってくる。
「かつて津波がここに到達した」ことを知らせる標識があちこちにあり、時には建物の2階の高さ以上を示しているところもある。
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景勝地である浄土が浜を見る予定だったけれど、海岸は濃霧にすっぽりと覆われて水平線すら見えず、すべて霧の中。

私は6年前すべてを呑み込んだ海へ向かって、おろおろと怯えながら手を合わせることしかできない。圧倒的な無力感。

私には霧しか見えないけど、この海には帰ってきている方々や得体の知れないものたちがいる気配が確かにした。

寒いのでラーメンを食べた後、翌朝出発が早いので朝ご飯を買いにスーパーに寄った。

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レジのおばちゃんが私のバッグを見て「それ日本の?珍しい柄ね」と話しかけてくれた。
私は南米の少数民族の手編みバッグの説明をして、気になっていたこちらのお盆の様子を聞いてみた。

「このへんのお盆はお供えに煮しめをやるのよ。でも最近はたくさん作っても孫やなんかは食べないもんでね。だから私が作ってこうやってお供え用にパックにすると、ちょうどいいってみんな買っていくのよ。」
「私の母親は八戸出身なんですけど、お正月に煮しめつくりますね」
「そうそう、このへんも正月に煮しめやるのよー。盆と正月。でも最近の子はどっちにしても食べないもんでね、あはは」
「私は煮しめ好きですよー」
「あらそう?いつ宮古にきたの?ゆっくりしていってくださいね」

他のお客さんが入ってきたので私はお店を出た。
お店のおばちゃんが明るく話してくれて、すごくうれしくてホッとしてしまった。私のどうしようもない無力感を救ってくれたのは、おばちゃんの朗らかさだった。

こんな風に書いてしまうと、いかにも薄っぺらい東北復興支援!絆!な感じがするかもしれないけれど、これが実際に私があの時に感じたことなのだ。

私は世界中どこへいっても、おばちゃんに助けてもらっている。イタリアで道に迷っても、キューバでカタコトのスペイン語で困っても、バルバドスで宿がみつからなくても、おばちゃんは優しい。

仏陀が修行中に行き倒れて死にかかった時に、仕事中なのに乳粥をわけてくれたスジャータのように。スジャータはおばちゃんではなかったかもしれないけど。

世界のおばちゃんとスジャータとの共通点、それは母性だ。

そんなことを考えながらホテルにチェックインすると、宿泊客の半分強は復興工事労働者、残りは家族旅行。フロントの女性たちは語気が荒い工事関係者の対応に忙しそう。私も色々な場所・タイプのホテルに泊まったけど、ここはなんとも独特な雰囲気だ。

私はさっさとお風呂にはいってベッドにもぐりこんだ。

(ケイコ・K・オオイシ)

岐阜・郡上八幡から静岡、奥多摩への旅

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先週末は岐阜および東海地区のみなさまが新しく始めた「八祭~十七夜おどり&祭と宴」にトーク&映像上映で出演するため、郡上八幡へ。ここ数年、橋の下世界音楽祭(愛知県豊田市)に刺激を受ける形で、各地で新たな祭が立ち上がっていますが、この「八祭」もそうした祭のひとつと言えるのではないでしょうか。今回声をかけてくれた山岸くんとも橋の下で初めて会ったし、今回の祭りにも橋の下の代表でもある永山愛樹くんのALKDOや橋の下に出演経験もあるアラゲホンジが出演。橋の下をきっかけとする祭ネットワークが年を重ねるごとに広がっていることを実感します。

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会場となるのは、郡上一帯における真宗大谷派の中心的な寺院でもある安養寺。歴史あるお堂のなかで、約1時間に渡って祭映像を上映。さらに後半1時間では、大乗寺住職であり郷土史家でもある高橋教雄さん、昨年郡上を訪れた際にもお世話になった郡上八幡音楽祭の実行委員会代表、井上博斗さんを迎えた郡上おどりトークを行いました。後半ではほぼ司会に徹しましたが、お2人のお話がとにかく素晴らしかった。郡上おどりの背景に広がる広大な信仰世界についてのお話には僕も大興奮。さまざまな歴史と文化が網の目のように張り巡らされた郡上宇宙を紐解く、大変興味深い内容でした。東京の「踊り助平」の方々にもぜひ聞いてほしかったな。

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ALKDOとアラゲホンジのライヴ後は、おどり屋形を中心とする郡上おどりタイム。徹夜踊り明けとは思えぬ熱気で、みんな本当に踊りが大好きなんだなあ、と実感しました。なお、祭終了後から雨が降り出し、夜遅くからは豪雨に。翌日岐阜県では大雨洪水警報が発令され、僕らも車での帰路えらい目に遭いました。

とはいえ、「八祭」、関わる人すべての思いが詰まった素晴らしい祭りでした。また、徹夜おどり明けのあんな祭りを受け入れてくれる郡上の懐の深さにも感激。もちろん開催するうえではさまざまな苦労があるとは思いますが、今後もぜひ続けてほしい祭りです。呼んでくれたこうちゃん、本当にありがとう!

帰路は下道でゆっくりと。思いつきで島田の温泉に寄ったり、藤枝で一泊したり、憧れの山宮浅間神社(静岡県富士宮市)に寄ったりしましたが、こうした旅の仕方も下道ゆえにできること。陸路で国から国へと移動し続けたかつての旅を思い出しました。新幹線や高速でサクッと移動するのもいいけど、僕らはやっぱり思いのままに移動するこういう旅のほうが性に合うようです。

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また、今回は以前大変お世話になった「RIDDIM」元編集長の大場さんが静岡・磐田で営むパン屋さん「one too many morning」にもようやくお邪魔することができました。大場さんご夫妻のセンスと愛情がたっぷり詰まったステキなお店で、いうまでもなくパンも絶品。近くにこんなお店があったら毎日通っちゃうだろうなあ。

なお、藤枝で一泊した後は新刊取材のため奥多摩の某地へ。ただし、途中でまたもや豪雨に。途中で何度も土砂崩れの場面を目撃していたため、早々に奥多摩を後にすることになりました。山中の雷雨ははじめて体験しましたが、山全体が怒り狂っているような人智を越えた恐ろしさを感じました。こうした恐怖を乗り越えるために信仰が育まれ、共同体の結束が強固になっていたのでしょう。そういう実感を得られただけでも、奥多摩へ足を運んだ甲斐がありました。

そんなわけで、車中泊を含めて二泊三日のロング・ドライヴでした。ヘトヘトになったけど、またやりたいです。各地でお世話になったみなさま、本当にありがとうございました!(大石始)

お盆ですね

お盆の期間は海や川に入るな、なんて話を聞いたことはありませんか?

お盆時期はご先祖さまが帰ってくる。でもそれと同時に悪霊も帰ってきてしまう期間だ。だから盆踊りとは祖霊を癒すのと、悪霊退散の魔除けの意味も持ち合わせている。…盆踊りをこのように解釈しているところも多々あります。福島地方など。

受け止め方は人それぞれなので、なにを信じるかはあなた次第ってやつです。私はお盆時期の海を眺めるたびに、歌川国芳 『東海道五十三対 桑名』の海坊主や、水木しげる先生の海坊主を思い出してぞわぞわします(画像は2点ともwikipedia より)

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ちょっとカワイイ仕上がりになっていますが (笑)

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お盆に海や川の遊びをする人、くれぐれもお気をつけてくださいね。(脅かしているワケではないですよ!)(ケイコ・K・オオイシ)

気持ち良さの追求ーーケチャまつり

新宿の高層ビル街。スーツ姿のビジネスマン&ウーマンが足早に歩いていく。ケチャまつりはこの街の一角で毎年開催され、今年で42回目を迎えた。

LSD研究で農学博士を取った大橋力さんが「芸能山城組」を創立し、このケチャまつりを始めたそうだ。ケチャといえばインドネシアの上半身裸の男たちが大勢で輪になってケチャケチャケチャと唱えるミステリアスでトランス状態に入りそうな民俗芸能といったイメージだけれど、それをパフォーマンスコミュニティ「芸能山城組」の方たちが手作りで上演。演目はケチャ以外にもガムラン、ブルガリア・ジョージア(旧グルジア)の合唱、福島県いわき市のじゃんがら念仏踊りと岩手県奥山行上流餅田鹿踊も…!すごいラインナップ!なるほど気持ちよくトリップできちゃうものばかり! 

「聴こえない超高周波が美と快と感動の脳機能に着火する〈ハイパーソニック・エフェクト〉」の発見者である大橋力さん。ケチャまつりは大昔の祝祭が持っていたパワーを現在の都会で体感できる奇跡のような祭りなのかもしれない。(ケイコ・K・オオイシ)

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「WORDS & SOUNDS」にISSUGI『7INC TREE』のレヴューを寄稿

ヒップホップ/ラップ・ミュージックの批評サイト「WORDS & SOUNDS」にISSUGI『7INC TREE』のレヴューを寄稿しました。二木信くんとの合評です。僕の原稿はともかく、二木くんの批評が素晴らしいのでぜひ。
http://wordsandsounds.jp/post/163817969873/issugi-7inctree-va-1

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なお、ISSUGIには昨年、『DAY and NITE』のリリース時に取材させていただきました。(大石始)

interview/グラデーションのように繋がっていく音楽――ISSUGI、Gradis Niceとの共演作『DAY and NITE』を発表
http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/issugi/1000001232

ISSUGI & GRADIS NICE – DAY and NITE / Blaze Up (Official
https://www.youtube.com/watch?v=4QPZW0dJi6Q

朝日新聞にインタヴューしていただきました!

コメント取材していただいた朝日新聞名古屋報道センターの原さんの記事が公開されました。僕のコメントも載ってます。

盆踊りの定番に「ダンシング・ヒーロー」、その理由は?
http://www.asahi.com/articles/ASK7T5HXJK7TOIPE02L.html

この夏は盆踊りの新たな動きに関してインタヴューを受ける機会が非常に多く、いくつかの新聞社も含めてトータル5つほどの媒体から取材を受けることになっています。かつては邪道などとも言われていたかもしれないこのような盆踊りの歴史と進化のありように、ジャーナリズム的視点から焦点をあてるメディアが増えているのは実に喜ばしいことです。

なお、こうした盆踊りの新たな動きに関しては、月刊「サイゾー」の連載「マツリ・フューチャリズム」でも細かく触れています。「ダンシング・ヒーロー」についても2回に分けてだいぶ深く突っ込んでいますので、よろしければこちらもぜひ。(大石始)http://www.premiumcyzo.com/modules/cat/rensai/cat430/

4年ぶりに青森ねぶたと五所川原立佞武多に行ってきました

この週末はふたたび青森へ。4年ぶりに青森市のねぶたと五所川原の立佞武多を取材してきました。

前回の取材の際はまだまだ音楽的関心から祭り・盆踊りにアプローチしていた時期だったため、ねぶた囃子のリズムやそれが祭りに与える影響を中心に取材したのですが、それから4年経ち、自分のなかの「祭り観」にも多少の変化がありました。今回ふたたびねぶたに触れることで、どのような思いが湧き上がってくるのか自分でも楽しみにしていました。

青森市のねぶたの魅力は、なんといってもねぶたそのものの芸術性。それぞれのテーマに基づき、専門のねぶた師とスタッフが丹精を込めて作りあげたねぶたには、観ている我々に突然襲いかかってきそうなほどの迫力があります。優れた大型ねぶたはひとつひとつのパーツに躍動感や生命力を宿らせているのですね。先々月取材させていただいた竹浪比呂央さん作成のものはまさにその最高峰! 本当に感動しました。​


一方、五所川原立佞武多の魅力は圧倒的なスケール感。23メートルもの大型ねぷたは改めて見ても呆気に取られるほどの高さです。また、五所川原は祭りそのものにまだまだカオティックな祝祭感が内包されているのがいいですね。青森市に比べてヤンキー濃度も高く、気合いの入った兄さん姐さんの佇まいに惚れ惚れとする瞬間も。地元の人たちが思いっきり楽しんでるのも最高。五所川原は津軽半島の入り口にあたる町でもあり、いつの日か五所川原を起点にしながら津軽半島をゆっくり旅してみたくなりました。

ねぶたはもともと「眠り流し」のような素朴な民俗行事がルーツにあるわけですが、なぜそこに太鼓のリズムと激しい踊りが加えられるようになったのでしょうか。民俗学的な裏付けではなく、当時の津軽人の心境に思いを馳せながら再度ねぶたの進化のプロセスを考えてみたくなりました。なんとなくですが、そこには「なぜ日本人は踊るのか?」という命題を解くヒントが隠されているような気がしているのです。(大石始)

「ユリイカ」8月号の特集「cero」に寄稿しました

発売されたばかりの「ユリイカ」8月号に寄稿しました。今回の特集はcero。僕は「街の音楽――ceroが描いてきた『東京』」と題し、東京の風土で育まれたフィクショナルな「街の音楽」としてのceroの世界観を探っています。

文中で「シティ・ポップを『街の音楽』と読み替え、その起点を70~80年代から大正~昭和初期まで一気に巻き戻すことによって見えてくるものとは一体なんなのだろうか?」ということを書いたのですが、この問いかけは今後も自分への宿題として取り組んでいこうと考えてます。

他の論考も力のこもったものばかり。僕もまだ全部読めていないので、明日からの青森出張の移動中に読んでみようと思ってます。(大石始)

「ユリイカ」8月号の詳細はこちらで。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3069

2017年夏のB.O.N

しばらくブログを更新できていなかったけれど、相変わらずB.O.Nはバタバタと動いてます。

現在のところ取材の中心になっているのは、来年初頭の刊行をめざして制作を進めている新刊。まだはっきりとしたことはお伝えできませんが、今回は盆踊り・祭りからさらに踏み込んだ「信仰心」がテーマになりそう。今までほとんど訪れたことのなかったエリアも含め、都内をぐるぐる回っております。東京に生まれて40年以上経ちますが、取材のたびにまだまだ知らない「東京」があったことに気付かされています。

写真は江戸川区のとある集落を訪れ、水神信仰のことを取材させていただいた際のワンカット。昭和40年代までこの一帯は水路が張り巡らされた「水の町」だったとか。かつての町の風景を知る方々のお話に驚かされてばかりいます。(大石始)