「現代の里国隆」、盛島貴男さんを訪ねて奄美大島へ

昨夜まで4日ほど奄美大島に行ってきました。奄美に行くのはショチョガマ〜平瀬マンカイ〜佐仁の八月踊りを取材するために訪れた昨年9月以来なので、約1年ぶりです。

僕がもともと奄美大島の芸能や唄、祭祀に関心を持つようになったのは、阿波おどりのルーツを辿るなかで熊本の「牛深ハイヤ節」と出会い、その取材で牛深を訪れて以降のことでした。
港町である牛深には奄美や沖縄との交流の痕跡が唄や文化の形で残っていて、島外でもっとも知られているだろう奄美の騒ぎ唄「六調」の歌詞にしても南九州から伝わってきた大和言葉が跡を残しているし、「牛深ハイヤ節」にしたってその「六調」の発展型。古代から続く南西諸島~南九州~アジア各国の交流の残り香みたいなものを牛深で感じ、「こりゃ奄美に行かなきゃ!」と慌ててヴァニラのフライトに飛び乗ったのが昨年のことでした。

今回は先頃東京公演を大成功させた奄美竪琴奏者、盛島貴男さんの工房(ご本人いわく「サティアン」笑)にお邪魔し、東京での取材では聞けなかったアレコレをじっくりと聞かせていただいたほか、南部の港町、古仁屋で富島甫さん(現在94歳)に八月踊りのことや戦前の古仁屋のことなどをたっぷりお聞きしてきました。富島さんは僕が以前から愛読してきた「奄美八月踊り唄の宇宙」(海風社)の著者のひとりであり、長年八月踊りの保存活動に従事してきたレジェンド中のレジェンド。戦中のこともはっきり覚えていらっしゃるその記憶力には感服いたしました。

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そうそう、今回は前回訪れることのできなかった南部の各集落まで足を伸ばし、元ちとせさんの故郷、嘉徳集落にも行ったんだけど、他の集落と隔絶したあんな場所だとは思いもしませんでした。ちとせさんとはデビュー時に一度取材したきり。ぜひもう一度お話聞いてみたいなあ。
また、今回は奄美島唄の伝説的存在、里国隆さんの生まれ故郷である笠利の崎原集落にもお邪魔してきました。放浪の旅を続けてきた里国隆さんが人生の最後に戻ってきたのは、やはり故郷の崎原集落。集落の外れにある国隆さんのお墓に手を合わせることもできました。
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内地から見ると奄美って沖縄と一緒くたにされちゃってるところもあるかもしれないけど、独特の文化と風土が息づく島であり、豊かで複雑な歴史が刻まれた島でもあります。僕も知れば知るほど奄美の魅力にズブズブとハマっていってる気がします。
今回もお世話になったみなさんに感謝。本当にありがとうございました!また近いうちに!