今月号の月刊「DISCOVER JAPAN」の連載「あなたの知らないニッポンの祭り」では……


今月号の月刊「DISCOVER JAPAN」の連載「あなたの知らないニッポンの祭り」第13回では、埼玉県鶴ヶ島市で4年に一度行われる「脚折雨乞」を取り上げています(写真はケイコ・K・オオイシ)。総勢300人の男たちによって担がれる龍蛇の長さは実に全長36メートル。関東ではさまざまな雨乞い儀礼が継承されていますが、ここまでの巨大な蛇神を担ぐ雨乞いはここぐらいのもの。想像をはるかに超える迫力でした!

なお、この連載でこれまで取り上げた祭り・伝統行事を以下にまとめておきます。本当はこの連載も1年ぐらいやったら単行本にまとめたいと思っていたのですが、まだまだ取材したいものは多く、しつこく、マイペースに続けていこうと思ってます。このまま5年ぐらい続けていったら結構厚みのあるアーカイヴになりそうです。

(1)三重県伊勢市円座町「かんこ踊り」
(2)秋田県雄勝郡羽後「西馬音内盆踊り」
(3)鹿児島県南さつま市金宝峰町「ヨッカブイ」
(4)沖縄県宮古島島尻「パーントゥ」
(5)静岡県榛原郡川根本町「徳山の盆踊」
(6)鹿児島県日置市吹上町「伊作太鼓踊り」
(7)兵庫県加西市上万願寺町「東光寺の田遊び・鬼会」
(8)山形県上山市「カセ鳥」
(9)鹿児島県いちき串木野市「市来の七夕踊」
(10)三重県志摩市磯部町「磯部の御神田」
(11)東京都大田区大森「水止舞」
(12)奈良県吉野町金峯山寺「蓮華会・蛙飛び行事」
(13)埼玉県鶴ヶ島市「脚折雨乞」

7月上旬、新刊『ニッポンのマツリズム~盆踊り・祭りと出会う旅』が刊行!

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約1年ぶりの新刊、出ます!
2010年以降の僕とケイコ・K・オオイシの盆踊り・祭りフィールドワークの成果(の一部)をまとめた新刊『ニッポンのマツリズム〜盆踊り・祭りと出会う旅』がアルテス・パブリッシングから7月初旬に刊行。書影や詳細が出版のウェブサイトにアップされたので、まずは告知第一弾を。

都市文化研究という側面もあった前作『ニッポン大音頭時代〜「東京音頭」から始まる流行音楽のかたち』(河出書房新社)と比べると、今回は盆踊りや祭りを通して「日本のもうひとつの姿」に触れた際の興奮や感動もそのまま書いたため、一種のノンフィクションとしても読めるのではないかと思います。祝祭感溢れるケイコ・K・オオイシの写真もたっぷり掲載。ここ数年の僕らのライフワークの一部をようやく一冊にまとめることができて、本当に感無量です。自分でも言うのもナンですが、大自信作です!

なお、この後各地で祭り映像上映会なども予定。ようやく祭りを巡る最初の5年間の成果を世に出すことができたので、ここからは次の5年後に向けて旅を始めたいと思います。

『ニッポンのマツリズム〜盆踊り・祭りと出会う旅』
大石始[著]
ケイコ・K・オオイシ[写真]

出版:アルテス・パブリッシング
定価:本体 2000 円【税別】
四六判変型・並製288頁
発売日:2016年7月8日
ISBN:978-4-86559-145-3 C1073
ジャンル:音楽/伝統芸能/ノンフィクション
ブックデザイン:中島美佳

青森、秋田、東京から徳島、奄美、沖縄まで、祭りの中で見つけたもうひとつの日本!

「祭りと盆踊りと出会う旅とは、僕にとってはそれまでまったく知らなかった日本列島の姿を発見する旅でもあった〜取材のたびに日本列島の新しい姿と出会い、驚かされてばかりいる」(あとがきより)

2010年の夏、「高円寺阿波おどり」と「錦糸町河内音頭大盆踊り」に衝撃を受けた著者は、以来南米のカーニバルやレイヴ・パーティーにも通じる祝祭感、高揚感のなかに、いまだ見知らぬ列島の姿を求めて、日本各地の祭りを追いかけている。本書にはそんな旅のなかから、北は青森、秋田、南は奄美、沖縄まで、全国13の盆踊り・祭り体験を収録!

【著者が訪ねた盆踊り・祭り】
大川平の荒馬踊り(青森県)、五所川原立佞武多(青森県)、西馬音内盆踊り(秋田県)、秩父夜祭(埼玉県)、錦糸町河内音頭大盆踊り(東京都)、高円寺阿波おどり(東京都)、郡上おどり&白鳥おどり(岐阜県)、磯部の御神田(三重県)、阿波おどり(徳島県)、香春町の盆踊り(福岡県)、牛深ハイヤ節(熊本県)、奄美大島のアラセツ行事と八月踊り(鹿児島県)、市来の七夕踊(鹿児島県)、本島と浜比嘉島のエイサー(沖縄県)などなど

詳細:http://artespublishing.com/books/86559-145-3/

七体の巨大な蛇体が練り歩く栃木県小山市の伝統行事「間々田のジャガマイタ」

昨日は栃木県小山市の伝統行事「間々田のジャガマイタ」(通称「蛇(じゃ)まつり」)に行ってきました。

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この伝統行事は釈迦誕生の際、八大龍王が甘露を降らせて祝福したという故事に基づき、五穀豊穣と疫病退散を祈念して七体の蛇を作り、それぞれの集落から間々田八幡宮まで「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」という印象的な掛け声と共に練り歩くというもの。「ジャガマイタ」という不思議な名前は、「蛇(じゃ)が参った」「蛇が巻いた」などの言葉をからきているとか。

このジャガマイタ最大の見せ場は、間々田八幡宮の境内の池で行われる「水呑みの儀」。全長15メートの蛇体ごと池に飛び込むのですが、その姿はまるで本当に蛇が水を飲んでいるかのよう。この後蛇体は集落内を練り歩き、悪霊退散を祈念することになりますが、池に飛び込むというのはおそらく水垢離(水を浴びて身を清め、穢れをとり除くためのもの)の意味合いもあるのでしょう。
また、七体の蛇体の作りはすべて異なっていて、ギラギラとした派手なものがあれば、地味ではあるもののクールな頭もあって、見飽きることがありません。

このジャガマイタもまた、観光客誘致を目的のひとつとするようになった高度経済成長期以降、それまで旧暦の4月8日(釈迦降誕の日)と決められていた開催日を5月5日の子供の日に移したり、祭りとしてのテーマをはっきり打ち出すために「八大龍王」と書かれた旗を伴うようになったりと、多くの変革が行われてきました。現在は全長15メートある蛇体も昭和初期までは50メートルもの長さがあったそうで、それが道路事情などの理由から現在の長さまで短くなったのだとか。
社会の変貌に対応しながら、400年もの長きに渡って継承されてきたとされる北関東有数の奇祭「ジャガマイタ」。八大龍王信仰をルーツとするその背景もふくめ、とても興味深い祭りでした!


町中に「カッカッカー」という威勢のいい声が響き渡る、かみのやま温泉の奇習「カセ鳥」(山形県上山市)

昨日は山形県上山市で毎年行われている奇習「カセ鳥」を取材してきました、

「カセ鳥」とは「ケンダイ」とよばれる藁蓑で全身を覆った人々(今年は全部で34人)が町中を練り歩き、民宿の前などで「カッカッカーのカッカッカ」という歌と共に奇妙な舞を披露するという風変わりな行事。沿道の人たちはケンダイを被った人々に対して容赦なく冷水をぶっかけまくるのですが(!)、この奇習、実は寛永年間(1624〜1645年)から行われてるとされる歴史ある火伏せ行事。五穀豊穣を願うものでもありますね。

地元の図書館で郷土資料を片っ端からひっくり返してみたところ、明治以前は近隣で似たような行事が数多く行われていたことを知ってビックリ。カセ鳥も明治に入って一時伝統が途絶え、戦後になってから再開されたのですが、かつては「奇習」でもなんでもなく、そこいら中で行われていた行事だったわけですね。その背景や他の芸能・民俗信仰との共通性など考えさせられることも多く、とても意義のある取材となりました。

ちなみに、山形県上山市を舞台とした小川紳介監督作品「ニッポン国 古屋敷村」や「1000年刻みの日時計 牧野村物語」にメチャクチャ影響を受けているにも関わらず、山形に行ったのは今回が初めて。上山は蔵王への信仰登山の起点でもありますし、今回の旅で一気に目の前に広大な世界が開けてしまったような感覚があります。ここ数年、西にばかり意識が向かっていたのですが、東北方面への関心が久々に再燃しそうな気配!

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愛嬌のある赤鬼・青鬼が松明と鉾を手に暴れまくる「東光寺の田遊び・鬼会」(兵庫県加西市上万願寺町)

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2016年初の祭り取材は、1月8日に兵庫県加西市上万願寺町で行われた「東光寺の田遊び・鬼会(おにえ)」となりました。室町時代末期にはすでに行われていたというから、400年以上もの長い歴史を持つとされる祈年行事です。

新年の天下泰平・五穀豊穣などを祈願する正月の法要「修正会」は日本各地で行われており、東光寺の鬼会のように赤鬼・青鬼が大活躍するものも決して珍しいものではありません。ただし、そのなかでも東光寺のものはいくつかの特徴があります。

まずは何と言ってもインパクト大なのがユーモラスな面で、現在継承されているものは170年前に作られたもの。かつてこの鬼の面を作った人物はそこにどのような思いとヴィジョンを込めたのでしょうか。鬼というと各地で得体のしれないものとして恐れと共に描かれてきましたが、東光寺の鬼面には愛嬌すらあり、あまり恐ろしさは感じられません。しかもこの鬼、本尊である薬師如来の化身だと言われており、そこに刻み込まれた多様なイメージに強い関心が沸き起こります。

また、東光寺の鬼会最大の特徴が、五穀豊穣を願う予祝儀礼である「田遊び」と共に行われるということ。当日司会を務めていた保存会の方は鬼会を農耕儀礼として解説していましたが、確かにここの鬼会は正月の法要であると同時に、かつての農耕社会の記憶をさまざまな形で留めた儀礼でもありました。

もうひとつ付け加えておくと、赤鬼が手にした松明や境内のそこかしこにセッティングされた篝火に照らし出され、火祭りとしての雰囲気を持つこの鬼会が、火の記憶と決して切り離すことができない東光寺という寺院で行われていることもまた、とても興味深いことではあります。もともと有明山万願寺と号していたこの寺院は、天文7年(1538年)、赤松氏の襲撃によって全焼。その後、東光寺という名で再建されたと言われています。そうした場所における「火」とはどのような意味とイメージを持つのか――。

近畿一帯に広がる仏教世界の古層に対してジワジワと関心が広がっていただけに、今回もまた、とても意義ある取材旅行となりました。記事掲載は月刊「DISCOVER JAPAN」の連載「あなたの知らないニッポンの祭り」にて。文・大石始、写真・ケイコ・K・オオイシのコンビでお送りいたします。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

大変遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。

2016年はまず、ここ数年の祭り〜盆踊りフィールドワークの成果をまとめた著作がアルテスパブリッシングから刊行予定。文は大石始、写真はケイコ・K・オオイシです。2015年に刊行された「ニッポン大音頭時代」(河出書房新社)は昭和以降の盆踊りでかかってきた音頭歌謡の多様性にフォーカスをあてたものでしたが、今回の新刊は現在行われている祭や盆踊りを通し、深く日本の古層に潜り込んでいこうというもの。祭り体験の興奮と感動を余すことなくお届けすべく、鋭意進行中です。お楽しみに!

ちなみに、2016年の初詣は青梅市の武蔵御嶽神社に行ってきました。ドキュメンタリー映画にもなったオオカミの護符で知られる神社。山の空気に触れ、心も身体もリフレッシュすることができました。

そんなわけで、今年もB.O.N Productionをどうぞ宜しくお願いいたします!

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「現代の里国隆」、盛島貴男さんを訪ねて奄美大島へ

昨夜まで4日ほど奄美大島に行ってきました。奄美に行くのはショチョガマ〜平瀬マンカイ〜佐仁の八月踊りを取材するために訪れた昨年9月以来なので、約1年ぶりです。

僕がもともと奄美大島の芸能や唄、祭祀に関心を持つようになったのは、阿波おどりのルーツを辿るなかで熊本の「牛深ハイヤ節」と出会い、その取材で牛深を訪れて以降のことでした。
港町である牛深には奄美や沖縄との交流の痕跡が唄や文化の形で残っていて、島外でもっとも知られているだろう奄美の騒ぎ唄「六調」の歌詞にしても南九州から伝わってきた大和言葉が跡を残しているし、「牛深ハイヤ節」にしたってその「六調」の発展型。古代から続く南西諸島~南九州~アジア各国の交流の残り香みたいなものを牛深で感じ、「こりゃ奄美に行かなきゃ!」と慌ててヴァニラのフライトに飛び乗ったのが昨年のことでした。

今回は先頃東京公演を大成功させた奄美竪琴奏者、盛島貴男さんの工房(ご本人いわく「サティアン」笑)にお邪魔し、東京での取材では聞けなかったアレコレをじっくりと聞かせていただいたほか、南部の港町、古仁屋で富島甫さん(現在94歳)に八月踊りのことや戦前の古仁屋のことなどをたっぷりお聞きしてきました。富島さんは僕が以前から愛読してきた「奄美八月踊り唄の宇宙」(海風社)の著者のひとりであり、長年八月踊りの保存活動に従事してきたレジェンド中のレジェンド。戦中のこともはっきり覚えていらっしゃるその記憶力には感服いたしました。

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そうそう、今回は前回訪れることのできなかった南部の各集落まで足を伸ばし、元ちとせさんの故郷、嘉徳集落にも行ったんだけど、他の集落と隔絶したあんな場所だとは思いもしませんでした。ちとせさんとはデビュー時に一度取材したきり。ぜひもう一度お話聞いてみたいなあ。
また、今回は奄美島唄の伝説的存在、里国隆さんの生まれ故郷である笠利の崎原集落にもお邪魔してきました。放浪の旅を続けてきた里国隆さんが人生の最後に戻ってきたのは、やはり故郷の崎原集落。集落の外れにある国隆さんのお墓に手を合わせることもできました。
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内地から見ると奄美って沖縄と一緒くたにされちゃってるところもあるかもしれないけど、独特の文化と風土が息づく島であり、豊かで複雑な歴史が刻まれた島でもあります。僕も知れば知るほど奄美の魅力にズブズブとハマっていってる気がします。
今回もお世話になったみなさんに感謝。本当にありがとうございました!また近いうちに!

異形の来訪神が暴れまくる沖縄・宮古島の奇祭「パーントゥ」

昨夜まで沖縄・宮古島に行っておりました。
メインの目的は「宮古版なまはげ」とも言える奇祭パーントゥの取材。来訪神をモチーフとする祭祀は世界各地にあり、僕らも取材に行った鹿児島のヨッカブイなどもその一種。そうした日本の来訪神信仰の祭祀のなかでもパーントゥは異形さではトップクラスと言えるのではないでしょうか。


ンマリガーと呼ばれる集落の聖地(「ガー」は井戸の意味)の泥を全身に塗り付け、その泥を人々や住居に付けることで悪霊を祓うというのがパーントゥの趣旨。ただし、ここ数年、泥をつけられた観光客からクレームが出たり、ある年は怒った観光客からパーントゥが暴行を受けるなんていうありえない事件もあって、開催日時は発表されないことになっています。僕らは縁合って2日に渡ってパーントゥにお邪魔し、2日目には御嶽のもとの宴会にも参加。泡盛を回し飲む宮古名物オトーリも初体験しました。僕以外はみんな60代以上の先輩方ばかり。彼らから「大石、飲め!」と言われれば当然拒否権はないわけで、マジで地獄を見ました…(笑)。

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しかし、臭い臭いと言われていたンマリガーの泥、やっぱりトンでもなく臭かったですね。昔に比べたらだいぶマシになったそうですが、今もまだ泥がついてるような気さえします。ただ、あの泥の臭さこそ文献をいくら読んでも分からないもの。実際に泥を全身に塗りたくられてこそ初めて分かることであって、その臭さを実感したとき「宮古まで来てよかった!」と思えたのでした。
また、たまたま開催していた民謡大会「なりやまあやぐ大会」でずっと見たかった友利の獅子舞いを偶然にも拝見できたほか、いくつものディープな御嶽をお邪魔して感無量。宮古の信仰と文化については考えたこともたくさんあるのですが、キリがないのでまた改めて。

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なお、今回の旅では宮古島を拠点に活動するバンド、BLACK WAXのメンバーに合うことも重要な目的でした。彼らには東京で何度も取材させていただいてますし、ライヴも何度も拝見していますが、やはりいつか宮古で話をしてみたい、という強い思いがありました。彼らの音の根っこにあるものが何なのか、ぜひ触れてみたかったのです。5日間に渡りメンバーのみんなや関係者のみなさんに大変世話になり、何度も酒を酌み交わし(笑)、とても貴重な時間を共に過ごさせていただきましたが、そのなかで感動したのは、BLACK WAXの活動スタンス。ドラムのミキオさんのホームスタジオにもお邪魔したのですが、サトウキビ畑のなかに佇むそのスタジオの雰囲気はほとんどジャマイカ。あらゆる流行が凄まじいスピードで移り変わっていく都市の文化ももちろん刺激的ですが、週2回、彼らが練習を重ねるそのホームスタジオには東京とはまったく別の空気が流れていました。なるほど、こんなスタジオで練習してきたからこそ、最新作『VIGOR』みたいなトンでもない傑作をモノにすることができたわけです。

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お世話になったBLACK WAXファミリーのみなさまに心から感謝。そして、ここまで僕らを誘ってくださった久保田麻琴さんと「スケッチ・オブ・ミャーク」に感謝。とても満たされた思いで東京に帰ってきました。また遊びにいきます!

日本顔負けの熱気に溢れる「マレーシア・クアラルンプールの盆踊り」

昨夜までマレーシアのクアラルンプールに行ってきました。
現在関わっている某プロジェクトの視察と打ち合わせも兼ねたものだったのですが、祭りジャーナリストとしてのメインは、シャー・アラム駅近くの巨大スタジアムを舞台に行われる巨大盆踊り。クアラルンプール日本人会が主催となって70年代半ばから続けられているこの盆踊り、1日で実に3万人ものを人々が訪れるというビッグ・フェス。しかも参加者のほとんどがマレーシア人!

マレーシアでは他のアジア諸国同様、80年代より日本のアニメやマンガ、ドラマが受け入れられ、現在まで高い人気を誇っています。加えてマハティール(元)大統領が進めた東方政策により、日本との間で盛んな経済交流・文化交流が行われてきました。そのようにかねてから友好関係を結んできた両国だけに日本人会主催の盆踊りぐらい行われていても不思議ではないし、その手の国際交流イベントは日本でもよくあるものですが、会場に足を踏み入れてビックリ。予想を遥かに上回る規模と熱気!「誰かにやらされてる」国際交流イベントとは全然違う!

踊られる演目は「東京音頭」「大東京音頭」「花笠音頭」など。踊りの輪に入って撮影をしていたら、その熱気に圧倒されてしまいました。また、トゥドゥン(マレーのヒジャブ)に浴衣を合わせたお洒落レベルの高いコーディネイトのマレー・ギャルもたくさんいましたが、彼女たちの浴衣の着こなしも実にキマっていて、普段から日本文化に愛着と関心を持っていることが伝わってきました。「親日」とかのレヴェルじゃないんですよ、本当に。

とはいえ、僕が書きたいのは、昨今世に溢れている「日本の文化は海外でこんなに愛されているんだ!」という日本礼賛記事ではありません。
クアラルンプール盆踊りで一番感銘を受けたのは、盆踊りという「日本文化」の凄さというよりも、異国の文化に対するマレーシアの人々の懐の深さ。これまでのマレー半島の歴史とマレーシアという国家の成り立ちを考えてみると、その懐の深さは10年20年で育まれたものではないような気もします。
また、世界各地で見られる「一緒に踊る」というカルチャーの強みと魅力、奥深さも再認識させられました。こういうものをただの「モンドな盆踊り」として捉えるべきじゃないし、そんな単純なものではないと強く思います。

そんなわけで考えさせられることはあまりに多く、いまだ思考が整理できていない状態ではありますが、クアラルンプール盆踊りをきっかけに僕らの「日本文化」探求もどうやら次のステップへ進みつつあるようです。

なお、貼り付けた動画は僕がiPhoneで撮影したもの。もちろん、ちゃんとしたビデオで撮影したものもあります。盆踊り後半のより熱気を増した踊りの輪の映像は、今後トークイベントなどでご紹介していきます。また、レポートとケイコ・K・オオイシさんによる写真は「ソトコト」誌で掲載させていただく予定です。

まるでブラジルのカーニバル?鹿児島県日置市吹上町の「伊作太鼓踊り」

先週木曜日からは約4日ぶりに鹿児島へ。今回は日置市吹上町で伝えられている伊作太鼓踊りを取材してきました。薩摩半島ではとてもユニークな太鼓踊りが各地で継承されているのですが、装束の奇抜さではこの伊作太鼓踊りがダントツ。そのため以前から一度ナマで体験せねばと考えていたのですが、このたびようやく初体験することができました。

20150901-142250.jpgPhoto by KEIKO K. OISHI

8月28日(金)の朝イチで奉納が行われるのは、集落の奥まった地に鎮座する南方神社の境内。鬱蒼と茂った木々に囲まれながら奉納される太鼓踊りは想像以上の大迫力です。相撲の行事が持つ軍配を模した矢旗がひときわ目を引きますが、背中には薩摩鶏の羽で作ったホロが飾り付けられていて、その姿はまるでグラムロッカーのよう。その中心で鉦を叩くのは、花籠を被った中打ちたち。女性に扮した少年~青年たちのそのステップは確かに念仏踊り的で、祖霊供養を目的とする念仏踊りとかねてからの虫送りの風習などが複雑に入り混じった薩摩の太鼓踊りの魅力を再認識しました。
そして何よりも強い印象を残したのが、強烈なグルーヴとダイナミックなステップ!ほとんどブラジルのカーニバルのようで、観ているだけで胸の奧から熱いものがこみ上げてくるのが分かります。この感覚、阿波踊りを初めてナマで体験し、大感動した瞬間に覚えたものとも似ているかも。自分が住む列島にこれほどまでにカラフルで鮮やかな芸能が息づいているなんて、ホント衝撃です。久々のカルチャーショック!
そんなわけで、あまりに素晴らしい伊作太鼓踊りを体験したことによって、自分のなかの「日本像」はまたもや大きく揺らいでしまいました。そして、僕らは生活のなかで固定化されがちなこの列島に対するイメージを自分たち自身で揺さぶるため、こうして各地の祭りを渡り歩いているのかもしれません。

伊作太鼓踊りの取材後は、阿久根市のとある漁村に住む友人夫婦、ハマちゃんとショウコちゃんのお宅でお世話になりました。彼らが住むのはカマドのある素敵な古民家。虫の鳴き声しかしない静かな夜、久々にぐっすりと眠ることができました。阿久根の海の幸もたっぷりいただき、大感謝。2人の優しさが身に沁みました。ハマちゃん、ショウコちゃん、お世話になりました!(大石始)

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