秋田の過疎地に鳴り響く、祈りにも似たルーツ・ロック・レゲエ――英心&The Meditationalies
取材・文/大石始
写真/ケイコ・K・オオイシ
2017年1月、僕らは秋田県山本郡三種町鹿渡にいた。JR秋田駅から奥羽本線に乗り換えて40分ほど。海まではさほど離れていないため、他の豪雪地帯に比べれば降雪量自体はそれほど多くないものの、曇り空の下を吹き抜ける北風は震えるほど冷たい。駅を降りて周囲を見回すと、歩いている人はおろか、一台の車すら走っていない。
この鹿渡に、松庵寺という古刹が建っている。創建は天文年間(1532~54年)。かの紀行作家・菅江真澄も訪れたという由緒正しい寺だ。
英心くんは、ここで副住職を務めながら、マイペースな音楽活動を続けている。僕が彼と知り合ったのはコロリダスという陽気な南国音楽楽団の打楽器奏者としてだったが、のちに地元の仲間たちと英心 & The Meditationaliesというレゲエ・バンドを結成。みずからフロントに立ち、2015年にはファースト・アルバム『からっぽ 』を、2018年晩夏にはセカンド・アルバムとなる『過疎地の出来事』をリリースした。
『からっぽ 』を初めて聴いたとき、僕はとても驚いた。地元秋田の美しさを語りながらも、過疎地の厳しい現実を織り込んだ英心くんの歌には、気休めでも現実逃避的でもない「希望」が綴られていた。その一方で、歌の背景には光さえ差し込まぬ曇天の気配があった。酒場で泥酔して大騒ぎしたり、コロリダスのライヴでみんなを陽気に盛り上げている彼の姿しか知らなかった僕は、英心くんのなかにそんな「影」の部分が潜んでいることなど、まったく気が付きもしなかったのだ。
英心くんはいったいどんな場所に住んでいるんだろう?――そんな思いを膨らませた僕らは、彼の住む町を訪ねることになったのだった。(なお、本稿は2017年の年明けに某媒体用に取材したものの、諸事情あってお蔵入りとなっていたインタヴューを再構成したものである)
英心くんの1日は、毎朝6時半にお経を唱えることから始まる。前日深い時間まで一緒に酒を酌み交わしたというのに、彼はその朝も何事もなかったようにお経を唱え、松庵寺のなかを案内してくれた(僕はというと、案の定しっかり二日酔いになり、布団から這いつくばるように抜け出す始末だった)。
先述したように松庵寺は天文年間に創建されたが、当時は別の場所にあり、300年ほど前に現在の場所へと移転した。英心くんは「うちは幸いにも火事にあってないので、本堂の基礎もそのときのままですし、過去帳も400年前のものがまだ残ってるんです」と話す。
ふと一枚の写真に目が止まった。英心くんのひいお爺さまの写真だそうで、「よく似てるって言われるんですよ」と英心くんは笑う。僕は曽祖父の顔も知らなければ、名前すら知らないけれど、英心くんは日常的にご先祖さまの存在に触れ、数百年もの時間軸のなかに自分が存在していることを実感しながら日々を暮らしている。
また、彼から話を聞くまでまったく知らなかったのだが、冬場になるとお墓参りのできなくなる雪国には、寺内に設置された位牌所にお参りをする習慣があるという。松庵寺の本堂のなかにも数多くの位牌が並んでおり、その横には太平洋戦争の戦没者たちの名前が列挙されている。ここにはかつてこの町に住んだ人々の記憶も積み重なっているわけだ。
インタヴューは英心くんの音楽部屋で行われることになった。歌やパーカッションであればレコーディングすることもできる、彼のホーム・スタジオである。本堂からその音楽部屋に向かう道すがら、今にも雪が降り始めそうな曇天を見つめながら、彼はポツリと呟いた――「秋田は日照時間が短いんです。それが自殺率の高さに繋がってるんじゃないかな」
――子供のころから僧侶になるものだと思っていた?
英心「そうですね。長男として生まれましたし、祖父や檀家さんも僕のことを跡取りだと思ってましたから」
――そのことについてはどう思ってたんですか。
英心「うーん……物心ついたころからお経を読んでたんですけど、中学生のころはやっぱりイヤでしたね。最初から自分の人生を決められていて、なおかつ周囲とは違う坊さんという人間になることを決定づけられているわけで。当時は『自分はミュージシャンになる!』と言ってたけど、その一方では結局(寺を)継ぐことにはなるだろうなとも思ってました」
――反発があったけど、諦めみたいなものもあった。
英心「そうですね。その反発の部分と結びついたのがパンクだったんですよ。高校のときはメロコア全盛期だったんで、ハイスタやブラフマン、それと青春パンクが好きでした」
――それが音楽との最初の出会いだった?
英心「ピアノは幼稚園から習ってたんです。最初に衝撃を受けたのは、秋田市のアトリオンというホールで観たオーケストラ。そのとき音楽ってすごいなと初めて思いました。中2でアコギを買って山崎まさよしなどを弾き語りでやってたんですけど、その後ベースを弾くようになってからハイスタのことを知りました」
――大学進学で上京しますね。東京には出たかった?
英心「都会志向だったし、自分の生まれた場所へのコンプレックスがすごくあったんです。このあたりの子たちは能代市の高校に進学することが多いんですけど、少しでも都会のほうに行きたくて秋田市の高校に行ったぐらいで(笑)」
――大学に入ってから本格的に音楽活動も始めます。のちにコロリダスを結成することになる(しみず)けんたくんは同級生だったと。
英心「そうです。学部は違うんですけど、入学してすぐに仲良くなりました。『ラテンアメリカ研究会っていうサークルがあるから行ってみようよ』とけんたに誘われたんですけど、最初は抵抗感があったんです。メロコアとかを聴いてたんで、ラテンなんて格好悪いと。でも、バトゥカーダを初めて聴いたとき、すごく感動したんです。太鼓だけのアンサンブルなのにこんなにすごいんだ!って」
そこから英心くんの音楽世界は一気に広がった。ペドロ・ルイスやマノ・ネグラにハマり、マノ・ネグラのヴォーカリストであるマヌ・チャオのコピー・バンドも始めた。また、ボサノヴァやサンバヘギを演奏する一方で、ジルベルト・ジルのボブ・マーリー・カヴァー集をきっかけにレゲエにものめり込んでいく。
大学卒業後の英心くんは、曹洞宗の大本山である永平寺(福井県永平寺町)で1年間修行したあと、四谷の東長寺で2年、さらには2010年9月から2011年8月までの約1年間、ブラジルはサンパウロの佛心寺に勤めた。まさに憧れのブラジル。「憧れていた人たちのライヴもたくさん観れたし、日本と違ってすべてが開放的だし、最高でしたね」という充実した日々を経て、日本に帰国。ブラジル渡航前に結成していたコロリダスの活動のため、東京と秋田を行き来する日々を送るようになる。
――秋田に戻らないで東京で音楽活動をやりたいという気持ちはなかった?
英心「あまりなかったですね。東京のお寺に勤めていたときって時間が本当になくて、週末は絶対休めなかったんですよ。だから、音楽活動のことを考えたら実家にいたほうが動きやすいだろうと。あと、音楽活動に対して親父の理解があったことが大きいですね。『ライヴのときは寺を空けてもいいから(秋田へ)帰ってこい』と言われていたので。すごくありがたかったですね」
――秋田に戻ってもコロリダスは続けていこうという意識はあったわけですね。
英心「それはありました。バンドを始めてすぐにポンポンとライヴが決まっていったし、なによりも楽しかったんですよね」
――コロリダスはブラジル音楽やカリブ音楽に軸足を置いているけれど、向こうのスタイルをなぞるんじゃなくて、自分たちのスタイルを大切にしてますよね。
英心「いくらブラジルやキューバで太鼓を習っても、彼らとまったく同じようには演奏できないなと思っちゃったんですよね。日本人なりに解釈したラテン音楽しかできないだろうと。そこはけんたと一緒なんです。そのままやっても僕ら自身が物足りないし、自分たちなりの解釈を加えてアップデートしたポップスをやりたかったんです」
コロリダスは2013年に『デパート』、2016年に『coloridas』という2枚のアルバムをリリース。順調な活動を続ける一方で、英心くんは自身のバンドである英心&The Meditationaliesを始動させる。
「秋田にいる時間がだんだん長くなってきたんですよ。前はライヴの前後に何日か東京に滞在して遊んでたんですけど、それも面倒になっちゃって。だからといって音楽をやらないのも寂しいので、正月の余った時間を使って“秋田濃厚民族”という曲を宅録で作ってみたんです。秋田には知り合いのミュージシャンがあまりいなかったので、全部ひとりで演奏しました」
この“秋田濃厚民族”が決定的名曲だった。秋田のPRソングを装っていながらも、「寂しい時もあるさ/生きろあるがまま」という言葉が挟み込まれるこの曲には、英心くんが幼少時代から育んでいたであろう深い情感が刻み込まれていた。そして、この曲を原型として、英心くんは自身の歌世界を開花させていく。
英心「ブラジルから帰ってきたら意識が変わっちゃって、たとえ秋田だろうと東京だろうと、日本にいたらだったらどこでも一緒なんじゃないかと思うようになったんです。東京でガツガツやることに意味を感じなくなったというか。ただ、“秋田濃厚民族”の段階ではまだバンドを作るまでは考えてなかったんです。コロリダスでは曲も作ってなかったし、歌もそんなに歌ってなかったので」
――“秋田濃厚民族”にはThe Meditationaliesのメッセージの原型がありますよね。秋田という土地をどのように見つめ、どのように歌うか。そこには単に秋田の魅力を発信するんじゃなくて、寂しさや厳しさも刻み込まれていました。
英心「当時、秋田で国民文化祭が行われるということもあって、秋田の景観や文化をPRする歌が氾濫してたんですよ。でも、そんなにいいところじゃねえぞ?という違和感があった。でも、そのなかでもいいところだってあるし……という気持ちのなかで“秋田濃厚民族”の歌詞を書いたんです」
――曲調もマイナー調の、秋田の曇天みたいな感じだし。
英心「そうですね。毎日ずっと曇り空で、しかも自殺された方のお葬式もやったりしていると、とびきり明るい曲なんて書けないなと思ったんです」
ジャマイカのルーツ・レゲエには、たとえ陽気な曲調であったとしても、その背景には日々の葛藤と苦しみが滲んでいる。強さと弱さ、幸福と苦悩、愛と憎しみ、生と死――そのように相反するものが渾然一体となっている。
英心くんの歌に潜む「影」も、そうしたルーツ・レゲエの背後に広がっているものと同じ類のものと言える。それは確かに秋田の過疎地で育まれたものかもしれないけれど、キングストンやリオデジャネイロのゲットーに宿るものと決して別物ではない。そして、彼の歌には、ローカルを突き詰めていったときに突然世界のどこかの「ローカル」と繋がってしまうような不思議な感覚、たとえばマヌ・チャオの歌を聴いているときに感じるようなものが確かに広がっている。英心くんはこう話す。
「昔はとにかく自分にとっての『しがらみ』から離れたくて音楽をやってたんですよ。でも、こっちに戻ってくると、自分の持ってるものでしか何も生み出せないことに気づいたんです。音楽と宗教はもともと密接な関係にあるし、ご詠歌やお経だって音楽。ないものをひねり出すんじゃなくて、あるものから生み出していけばいいんじゃないかと思えるようになったんです」
――英心&The Meditationaliesの活動を始めたのは2014年。
英心「そうですね。メンバーみんなレゲエを演奏した経験がなかったので、ひとつひとつのフレーズを『こうやってください!』と教えながら始めたんです。それが結構大変でしたね」
――2015年のアルバム『からっぽ』には仏教的視点がはっきりと現れてましたよね。
英心「これしかできなかったということはありますね。それが自分の自然体なんだと思いますし。基本的には自分語りなんですよ。自分のこと、身の回りのことしか語れない。人の人生は歌えないんです。自分が輝けば世界は輝くという発想が仏教にもラスタにもあるんですけど、自己と他者は同じというか、I&Iみたいな感覚がある。歌詞を書くうえで、少なくとも自分を肯定しなきゃダメだなとは思ってますね」
――秋田に対しても、見方を変えることによって風景は変わっていった?
英心「まったくそのとおりです。こんな町だけど、自分が変われば何かが変わる。この曇り空だって、『昨日よりはいくらか明るいほうだ』と捉えることによってマインドが変わるんですよね。この雲を晴らそうと考えるんじゃなくて、まだ明るいほうだと捉える。それが世界の変え方のひとつなんじゃないかと思ったんです」
もちろん、状況は決して楽観視できるものではない。英心くんは2013年から松庵寺を舞台に「松庵寺郷土祭り」という祭りをスタート。これまでにコロリダスや青谷明日香が出演したほか、最近では英心くんプロデュースによる婚活イヴェントなども開催している。
英心「過疎化は本当に深刻なんですよ。僕が子供のころはまだ団塊ジュニアの世代がいたんですけど、急激に子供が少なくなっている。何もないと本当に寂しい町ですね。檀家さんと話していても『寂しくなったな、この町も』と口々に嘆いてて……地方はどこでもそうなのかもしれないけど、ヤバい状況だと思います」
――「自分の世代でなんとかしないと」という使命感がある?
英心「『俺が変えるんだ!』という意識を持っても必ず壁にブツかってしまうし、そう簡単に変えれるわけでもないんですけどね。そう考えるのであれば、『ここで生きるのが楽しいんだぞ』という気持ちを持って、それを行動に移せばいいと思ってるんですよ。まずは自分が楽しむために音楽をやったり、祭りをやったりしてるんです」
――「松庵寺郷土祭り」の反響はどうですか?
英心「老若男女が寺に集まって楽しそうにしてるわけで、すごく嬉しかった。遠方からいろんな人も来てくれるようになりましたね。高齢者から子供たちまで楽しめる仕掛けを考え続けないといけないとは思ってます。最近は寺離れの傾向もあるし、寺をもう一度人が集まる場所にしたいんです」
――英心くんがさっき言ってた「見方を変えれば、世界は変わる」という話は、秋田以外でも通じるものですよね。その言葉に勇気付けられる人は多いと思う。
英心「そうだと嬉しいですね。僕も秋田に帰って坊さんになったら音楽活動は終わりだと思ってたんですよ。でも、秋田でも音楽はできるし、考え方を変えたら気が楽になりましたよね。すごく楽しくなりましたし」
英心くんの歌には死者に対して手を合わせるような感覚があるが、その一方では、生者に対する賛美のエネルギーにも満ち溢れている。こうした歌が東京や大阪のような都市部ではなく、秋田の過疎地から届けられたことに意味があるんじゃないかと僕は思っている。ここには東京にいるだけでは決して見えてこない地方の現実が描き出されているが、ここから新たな「ニッポンの歌」が立ち上がるのだ、という静かな高揚感のようなものもある。
なお、英心くん主催による「松庵寺郷土祭り」は毎年8月の第一土曜日開催。きっと初めて訪れた方も英心くんの人懐っこい笑顔に触れれば、自分の地元に帰ってきたような安堵感を覚えるはずだ。