東京最高のブロックパーティー「錦糸町河内音頭大盆踊り」

8月26日と27日の2日間、今年も東京の夏の風物詩「錦糸町河内音頭大盆踊り」が開催されました。今年は初日だけの参加となりましたが、僕ももちろん錦糸町へ!

20150901-135119.jpgPhoto by HAJIME OISHI

会場内のレイアウトを変更し、ダンスフロアを拡大したことによって舞台上の音頭取りのみなさまとダンサーのみなさまの距離がグッと近くなり、例年以上に会場内のグルーヴも上昇。2011年以来の司家征嗣さんのステージがまた涙モノの素晴らしさで、しみじみと河内音頭の魅力を噛み締めた夜でした。主催者・関係者のみなさま、今年もおつかれさまでした!

なお、錦糸町河内音頭大盆踊りに関しては、2012年春に刊行された「アルテスVol.2 2012 SPRING」(アルテス・パブリッシング)に掲載された僕の連載「まつりの島」でたっぷり触れています。タイトルは「下町に鳴り続ける不死のリズム──錦糸町河内音頭大盆踊り」。ご興味ある方はぜひ読んでみてください!(大石始)

「アルテスVol.2 2012 SPRING」の詳細はこちら。
http://magazine.artespublishing.com/backnumber/『アルテス-vol-02%E3%80%802012-spring』br特集%E3%80%88アップルと音楽〉

静岡県川根本町の「徳山の盆踊り」へ

昨夜は静岡県川根本町の「徳山の盆踊り」へ取材に行ってきました。
大井川沿いに走る大井川鉄道に揺られること1時間(途中でSLや機関車トーマスともスレ違った!)、ようやく辿り着いた徳山は山間の静かな集落でした。静岡の方が「川根は秘境」とおっしゃるのも分かるディープさ!

「徳山の盆踊り」の目玉は鹿の動きを模した「鹿ん舞」という踊り。3匹の牡鹿と牝鹿を先頭に、それを追うひょっとこからなる一群がユーモラスな動きを見せてくれます。鹿系の芸能というと岩手~宮城(および宇和島)の鹿舞を思い出しますが、あちらが勇壮な佇まいだとすると、徳山の鹿ん舞は中に入っているのが中学生の男の子たちということもあってかなり素朴です。ただ、ケイコ・K・オオイシさんが夜の浅間神社の境内で3匹の牡鹿と牝鹿を並べてポートレイトを撮影したのですが、写った写真には大井川の秘境の芸能ならではの奥深さと得体の知れない迫力が……やはり現地で見ないと分からないこともありますね(貼り付けた写真とは別のものです)。
20150816-203309.jpgPhoto by KEIKO K. OISHI

「徳山の盆踊り」はその「鹿ん舞」に加え、かなり古い歌舞伎踊りの形式を残す「ヒーヤイ踊り」(現在は中学生の女子が踊っていますが、かつては青年男子が女装して踊ったそう)と、年配の方々を中心とする「狂言」が行われますが、こちらも振りや歌の文言を聞くだけでもかなり古風。虫の鳴き声しかしない静かな山間の集落で踊られる演舞を見つめながら、近世初期の芸能と祭祀と信仰の関係性に思いを馳せたお盆の夜でした。(大石始)

鹿児島・いちき串木野市の「市来の七夕踊り」

土曜から先ほどまで鹿児島に行ってきました。
目的はいちき串木野市大里地区で行われる「市来の七夕踊り」。この祭りの目玉は「つくいもん」と呼ばれる虎・牛・鹿・鶴をモチーフとした大きな張り子。なかでもほとんどネコにしか見えない虎の動画をYoutubeで見て一目惚れした僕は、念願叶って市来を訪れることができたのでした。

ほとんどジブリの世界から抜け出してきたような「つくいもん」のチャーミングさ(でも、時に凶暴)、彼らに続く行列に「琉球人」をモチーフにしたキャラクターが存在するおもしろさ、そして薩摩半島特有のカラフルな装束に身を包んだ太鼓踊り。そうした一行が青々とした水田のなかを練り歩いていく光景は、ほとんど中世の神話的世界から飛び出してきたかのよう。そして、その水田の横には一見しただけでは道祖神かと思った「田の神」の石像が。薩摩の農耕社会と祭祀の関係性や、虎が実は朝鮮半島の虎をモチーフとしていることなど考えるべきことはあまりに多く、とても貴重な旅になりました。やはり南九州文化圏はめちゃくちゃおもしろいです!(大石始)

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名古屋〜大阪に行ってきました

この週末は名古屋~大阪遠征でした。

名古屋では昼間から各地の酒場を巡り、名古屋の味を心ゆくまで堪能。最終的に旧友が今池でやってる中華料理店「ピカイチ」に着地し、90年代の渋谷・宇田川町のバカ話で酒を呑むという不思議な状態に。今度はぜひ大須演芸場が復活したタイミングでお邪魔して、尾張の芸をゆっくり味わいたいものです。

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大阪では西淀川区野里の野里住吉神社祭礼にお邪魔し、念願だっただんじり囃子を初体験。まだ宵宮の早い時間ということもあって盛り上がりはまだまだでしたが、だんじり囃子の独特のグルーヴを体験できて大満足。その後は千日前に移動し、今年でオープンから60年目を迎える巨大キャバレー「味園ユニバース」へ。レイザーとミラーボールきらめくなか登場したのは何と河内家菊水丸さん!てっきり20分ほど歌って終了、かと思いきや、アンコール含め約1時間を熱演。かつて河内音頭が朝までやっていた時代、朝方の定番だったというバレ歌的なネタまで披露してくれました。終演後ご挨拶にいくと、まさか僕が大阪にいると思わずびっくりされていましたけど、そりゃそうだよな。

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そんなわけで、名古屋~大阪でお世話になったみなさんに心から感謝!また乾杯しましょう!!(大石始)

茅ヶ崎の夏の到来を告げる「浜降祭」

海の日である昨日7月20日は茅ヶ崎の「浜降祭」に行ってきました。
茅ヶ崎の鶴嶺八幡宮ではかなり古い時代から浜辺での神輿渡御が行われていたと言いますが、「浜降祭」の名物は時に波に飲まれながら海へと入っていく神輿渡御。まさに茅ヶ崎一帯の神社と海の関係性を現在に伝えるものとも言えるのでしょう。

僕らが浜に着いたのは浜降祭合同祭開式が始まった朝7時過ぎだったため、夜明けの幻想的な風景を見ることはできませんでしたが、茅ヶ崎のみならず、八王子など各地域の神社の神輿が全部で32も浜に並ぶ図はなかなか壮観。合同祭終了後、神輿ごと海に入っていく光景にもかなり興奮させられました。やっぱり屈強な男たちといえども、大きな波がやってくると神輿ごと持っていかれちゃうんですねえ。見てるほうもヒヤヒヤさせられます。

また、なかには逞しい「茅ヶ崎甚句」の歌声に合わせて練り歩く神輿もあり、こちらにも大感動。やはり、「鑑賞」や「保存」のためではなく、なんらかの行為のために「機能」している場面というのは胸を熱くさせるものがあります。とある古老が歌う甚句があまりに素晴らしくて、その模様をビデオに収められただけでも茅ヶ崎まで来た甲斐がありました。

祭り終了後は、茅ヶ崎で一番古い(創業昭和24年)という中華そば屋「文美」でチャーハンと餃子。煤けた座敷に座り、扇風機のぬるい風にあたりながら食すオールドスクールなチャーハン……ある意味でパーフェクト!

やはり相模湾一帯の信仰や文化も一度キチンと勉強しなきゃ。そう確信させてくれた初夏の一日でした。

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江戸の盆踊りの姿を伝える佃島の盆踊り

昨夜は佃島の盆踊りへ。佃島には毎年足を運んでいるのですが、ここは東京で唯一残る念仏踊り系の盆踊りで、無縁仏の供養という意味合いをいまだに強く残しています(そのため、踊りの輪の横には無縁仏のための仏壇が)。
佃島はかなりおもしろい歴史のある地なのですが、念仏色の濃い盆踊り歌などからそうした背景が透けて見えるのがこの盆踊りの魅力でもあります。

盆踊り終了後はいつものように月島に移動し、終電間際まで立ち飲み屋でいっぱい。いい夜でした。

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2007〜2008年の「世界酒場紀行」

先日ふと思い立って以前のブログを読み返していたのですが、今読んでも案外おもしろいかも?と思ったものをこちらに移植しておこうかと思います。こちらは2008年12月号の「CDジャーナル」誌に寄稿したもので、タイトルは「世界酒場紀行」。6年前に書いたものです。
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昨年、僕は世界各国の音楽を追いかけて長い旅に出ていた。その町のライヴ情報を探り、現地情報を収集する一方で、夜になると大抵現地の人々に紛れ込んで酒をあおった。今思うと、そんな僕の旅はほとんど「音楽と酒を巡る旅」だった気もする。
10か国ほど行ったヨーロッパの中で、生ビールが一番美味かったのは断然スペイン。この国では生ビールのことを「カーニャ」と呼び、よく冷えたカーニャをタパスと共に胃へ流し込むのは最高の気分である。ただし、バルは長居する場所ではない。財布に余裕があればフラメンコのショウを観ることができるタブラオに場所を変えてもいいけれど、僕の場合は手頃なクラブに足を運ぶことが多かった。バルセロナのような都市部であれば気軽にその町のローカル・アーティストを観ることができたし、複雑なパルマ(手拍子)を笑顔で披露してみせる観客の女の子を眺めているのも楽しいものだ。ポルトガルのリスボンでは、ファドが流れるカーサ・ド・ファドで白ワインをグイッといきたい。ファドの哀愁の響きにほろ酔い気分で耳を傾けていると、ヨーロッパの辺境の地までやってきてしまったという実感がこみ上げてきたものである。

マグレブを含む地中海周辺をウロウロした後、僕は一気に南米へ飛んだ。冬のサンチアゴやブエノスアイレスで呑んだワインもたまらない美味しさだったけれど、もっともアルコール摂取量が多かったのはブラジルのサルバドール滞在期間中だったと思う。僕がこの町で昼から晩まで呑んでいたのがカシャッサ。ピンガとも呼ばれるこの蒸留酒にライムや砂糖を入れるとカイピリーニャというカクテルになるが、安酒場ではこのカシャッサをストレートで呑む。使い捨ての小さなカップに入ったこの液体を3杯も呑めば、あっという間にフラフラ。その状態で、暗くなると町を練り歩き出すアフロ・ブロコのビートや、そこいら中で演奏されているサンバやパゴーヂに耳を傾け、千鳥足でステップを踏むのである。たった2週間の滞在だったが、こんな生活を半年も続けたら誰だって立派なアル中になるだろう。

南米の後はカリブへ。ジャマイカのゲットーでは爆音のサウンドシステムに合わせてレッド・ストライプをあおり、キューバでは老演奏家によるソンを肴にモヒートを。中でも忘れられないのが、トリニダード・トバゴで呑んだラムのココナッツ・ウォーター割り。カリブ最南端に位置するこの国を訪れた時、季節はちょうどカーニヴァルの真っただ中だった。国全体が浮き足だったような、狂乱の日々。爽やかな味わいのラムのココナッツ・ウォーター割りは、カーニヴァルで火照った身体と心をクールダウンさせる効果があった。あの味だけは、あの場所・あの時間でしか味わうことのできなかったものだったと、今改めて思う。

思い返すと、いい音楽の傍らには常にいい酒があった。それは週末になるとクラブやバーへと足を運ぶ現在の日々とも大して変わらないけれど、異国のざわめきの中で味わったそれは、今も僕の耳と舌にしっかりと余韻を残している。

ショチョガマ~平瀬マンカイ~八月踊りの取材で奄美大島へ

9月1日から3日までの3日間、奄美大島へ行ってきました。

目的は奄美大島の秋名という集落で行われるショチョガマ/平瀬マンカイという2つの儀式と、その日の夜に奄美大島最北端、笠利で行われる八月踊り。古来からヤマト(薩摩)と琉球の文化からの影響を受けながらも、独自の文化を発展させ、現在もその痕跡を残す島、奄美。そのディープさにノックアウトされた取材旅行となりました。

ショチョガマは秋名の山中に作られた小屋の上に男衆が乗り、日の出と共にその小屋を揺さぶって倒すという農耕儀礼。僕らも深夜からスタンバイし、早朝の日の出の瞬間に立ち会うことができたのですが、小屋を倒した後、一斉に八月踊りへとなだれ込むシーンには鳥肌が立ちました。あの爆発するような祝祭感はしばらく忘れることができなさそうです。
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午後は同じ秋名の浜辺で行われる平瀬マンカイへ。こちらは浜辺に立つ2つの岩の上にノロたちが乗り、歌と祈りを捧げるというもの。素朴でありながらも、深い歌と踊りにこれまた大感動……。
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その日の夜は最北端、笠利の佐仁集落で行われる八月踊りへ。
奄美の八月踊りは男女が歌を掛け合う、中世の歌垣(http://ja.wikipedia.org/wiki/歌垣)の影響を色濃く残すもの。しかもこの佐仁集落は芸能の盛んな土地でもあるため、素晴らしい歌声の持ち主ばかり。翌日は保存会の会長さんであり、島唄の唄者でもある前田和郎さんに取材させていただいたのですが、こちらもメチャクチャ興味深いお話を聞かせていただきました。ただ、充実した取材であればあるほど、次の取材への課題とお題が出されるのは毎度のこと。今回もとてつもなく大きな課題をいただいた気がしています。

なお、今回はサックス奏者でもある友人のKOYOくん(129th.StreetBand、THE TCHIKY’S)とそのご家族・友人のみなさまに大変お世話になりました。本当にありがとうございました!
KOYOくんのサックスは本当に素晴らしいので、ぜひ聴いてみてください。

今回の取材の成果は来年上半期にアルテス・パブリッシングから出版される旅紀行本に掲載予定。また、旅先でたっぷり撮影してきた映像は来年からスタートさせようと思っているB.O.Nプレゼンツのイベントでご紹介できればと思ってます。こちらもお楽しみに!

沖縄中部〜福岡・築豊の旅

B.O.Nの2人は初夏から日本全国を飛び回る日々が続いています。目的はもちろん各地の盆踊り〜祭り取材。今年は「南へ」をテーマに掲げ、各地をバタバタと動き回っています。

ワタクシ大石始がまず向かったのは沖縄県中部。沖縄では旧暦の7月13日から15日までがお盆にあたるのですが、今年は8月8日から10日がお盆にあたります。1日目の8日はウンケー(お迎え)、9日はナカビ、そして最終日10日はウークイ(見送り)となり、連日さまざまな行事が行われます。
今回の取材の目的はエイサー。それもガーエー(もしくはオーラセー)と呼ばれる喧嘩エイサーを体験すべく、コザ(沖縄市)を中心に中部を移動し続けました。結果から申し上げると、オーラセーは「喧嘩の入り口」を体験したのみに終わりました。
ただし、仏壇のあるお宅を少人数編成で一軒一軒回る浜比嘉島の素朴で心温まるエイサーや、女性のみで歌い踊られる屋慶名のウシデークなど、予想もしていなかったものを観ることができたので大満足!仏教伝来以前の伝統と地続きになっているウシデークを見ながら、古来からの祖霊信仰と仏教が複雑に混ざり合った沖縄の魅力を再認識しました。また、内地(ヤマト)との繋がりのなかで沖縄の芸能を見ていくことで、日本列島のもうひとつの姿が浮き上がってくるような気がしました。こちらは原稿にまとめる段階であらためて向き合わないといけないテーマでしょう。

(こちらの写真はiPhoneで撮影したものです)
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また、今回は沖縄のアンダーグラウンド・シーンのおもしろさにも触れることもできました。エイサーを追いかけて夜な夜な取材に同行してくれたマコトくんはHARIKUYAMAKUという名義でも活動していて、彼は素晴らしいオキナワン・ダブ作品を制作しているプロデューサーであるほか、コザの商店街「銀天街」を拠点とするダブ・バンド、銀天団のダブワイザーでもあります。11日には那覇の美栄橋のDJバー「On」でDJもやらせていただいたのですが、そちらも素晴らしい場所でしたし、沖縄はまた近々再訪しないといけなさそうです。

12日からは福岡へ(ここでケイコ・K・オオイシが合流)。今年の3月まで福岡のラジオ局「LOVE FM」で自分の番組「ASIAN MUSIC JOURNAL」をやっていたこともあり、福岡は何かと縁のある場所なんですが、今年は福岡の筑豊へお邪魔しました。こちらの目的は田川市各地で行われる盆踊り。なかでも香春(かわら)町に焦点を絞り、現地の関係者のみなさまにお話を伺ってきました。
15日に香春町運動公園で行われる大きな盆踊りは多少県外でも知られているものの、僕らの目的はそちらではなく、13日と14日の2日間、初盆のお宅を一軒一軒回る供養の盆踊り。こちらについてはネットや資料を調べてもほとんどといっていいほど情報がなかったのですが、田川が地元の友人とそのご家族・ご親戚・お知り合いの強力バックアップにより、とても興味深い取材となりました。

田川の盆踊りのおもしろいところは、初盆のお宅を一軒一軒回る供養の盆踊りでありながら、太鼓(大太鼓+締め太鼓)のリズムに合わせ、音頭取り的な役割を果たす「口説き」が河内音頭にも似た「口説き」を聞かせてくれるところ。そして、その太鼓と口説きに乗り、盆踊り団体のメンバー(といっても10人程度の少人数)がステップを踏んでいきます。初盆のお宅を回る供養の儀式というと、福島はいわき市のじゃんがら念仏踊りが思い出されますが、それよりもよりアットホーム。宴もたけなわとなると、喪服を着ていたご遺族もジャケットを脱ぎ捨てて踊りの輪へ。僕ら取材班も踊りの輪に巻き込まれ、なんとも楽しい供養の盆踊りとなりました。
筑豊のパブリックイメージというと、荒廃した元・炭坑の街、暴走族、生活保護……というネガティヴなものかもしれませんが、知られざる田川の盆踊りから見えてきたのは、田川のみなさんの活き活きとした歌やリズムであり、活き活きとした生活そのものでした。田川、本当にいいところでしたよ。

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そんなわけで、沖縄〜福岡ともにたくさんの皆さんに助けていただきました。本当にありがとうございました!
なお、こちらのレポートは「アルテス電子版」の連載「まつりの島」にて掲載予定。最新号では「天草の『風待ちの港』で阿波おどりのルーツと出会う─ 徳島阿波おどり〜熊本・牛深ハイヤ節(後編)」と題し、阿波おどりのルーツを求めて熊本県牛深へ。SOUL FLOWER UNIONのあの名曲のモチーフにもなった「牛深ハイヤ節」に隠された、とあるラヴストーリーを紐解いています。前編/後編あわせ、あまり前例のない阿波おどり論になってるんじゃないかと思います。ぜひ読んでみてください!

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2007年6月2日、イタリア・ナポリの日記

旅の日記、今回は2007年6月2日に書いたイタリアはナポリ編です。
日記にも書いたように、このときの滞在はライヴ三昧&ピザ三昧。ひたすら遊びまくっていたわけですが、今だったらナポリでナイト・クラビングをした後、プーリア州に足を伸ばして同地発祥の民族舞踊「タランテッラ」の取材をするだろうな。毒蜘蛛(タランチュラ)に刺された場合の治癒行為がタランテッラのルーツにはあるそうで、アジアの古い芸能に強い関心を持っている僕にとってはずっと気になっているテーマでもあります。特に「蜘蛛」という存在/表象が中世の日本でどのように扱われてきた考えると、重なり合うものは決して少なくないんじゃないかと。そして、(下の日記では触れていませんが)そんなタランテッラと出会えたのもこの旅の成果でありました。
なお、こちらの映像は映画「血の記憶(Sangue Vivo)」のトレイラー。タランテッラ同様、南イタリアの伝統音楽であるピッツィカが印象的に使われています。

ナポリ!おそらく今回の旅のなかでも印象深い街のひとつとして記憶に残るのではないでしょうか。
僕自身、イタリアはそれほど思い入れのある国ではありませんでした。その後シチリアに渡ることになっていたため、その経由地としてナポリを訪れた、それぐらいの意識しかなかったとも言えるかもしれません。ですが、結局のところ、予定していたローマにもアッシジにも行かず、ナポリで予定外の長居をしてしまったのでした。

ナポリ……南イタリアの風光明媚な気候に包み込まれた、歴史ある街。と思ってナポリ駅を降り立ってみたら……汚い!臭い!うるさい!インドを訪れたことのある方なら、ムンバイをイメージしていただけるといいかも。その汚さはハンパなものではなく、交通ルールを無視しまくった車の往来も壮絶そのものです。 そのなかをしばし歩き、今回の宿泊先に向かったのですが、これまた周囲はアフリカ人街。中心となるのはカメルーン、エチオピアからの移民らしく、少し歩けば中国やアフガニスタン、トルコやマグレブからの移民も多数。ホテルの宿から見える景色は……ここはニューヨークですか?
僕らはそんな移民街のド真ん中にある宿に宿泊していたわけですが、同じ宿に泊まっていた日本人の若いご夫婦はそんな環境にドン引きしたのか、すぐにチェックアウトしてました。僕らは次第に居心地がよくなってしまいましたが。

ナポリに滞在して見えてきたのは、「(ニューヨークでいえば)イースト・ヴィレッジのように文化的な学生街」「(上記のような)移民街」「高級住宅街」「多くの観光客が旅の拠点とする観光地域」というふうに、それぞれのエリアがはっきりと分かれているということ。そのなかでもナポリ大学を中心とする学生街はカッティングエッジな音楽発信地としても機能しているようで、ライヴ・イヴェントのフライヤーをたびたび目にしました。

そこで観ることができたのが、UKニュールーツの代表的ユニットであるアルファ&オメガのショウ。なんでナポリまで来てUKニュールーツ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ブダペスト編の日記でも触れたように、ヨーロッパにはレゲエ・カルチャーがアンダーグラウンド・レベルで根付いてるんですね。で、この日アルファ&オメガを招聘していたのが、ナポリのオーガナイザーにして左翼団体とのコネクションも太いOFFICINA 99。以前(同じくニュールーツ一派の)ザイオン・トレインの二ール・パーチにインタヴューさせてもらったとき、「俺らも人権団体や左翼系団体の活動支援のためにノーギャラでライヴをやっているんだ」などと話してくれたことがあったのですが、そうした「レゲエ×市民運動」といった構図をアルファ&オメガのライヴで目の当たりにできるのでは?と思いから、僕らは会場となるナポリ大学建築学部の校舎を訪れたのでした。

OFFICINA 99についてもう少し触れておくと、このクルーはナポリ中心部で同名のクラブ・スペースも運営していまして、そこではナポリのアンダーグラウンド・ヒップホップを牽引する99POSSEや、マヌ・チャオを筆頭とするレディオ・チャンゴ一派とも繋がりのあるALMAMEGRETTA(CDをゲットしましたが、クールなダブ・サウンドでムチャクチャかっこ良い!)らが拠点にしているとのこと。後日、このクラブ・スペースも訪ねてみたのですが、結局発見できませんでした。それもそのはず、ウェブで確認したところ、思いっきりスクワッド(空き家占拠)! 


さて、肝心のアルファ&オメガのライヴですが、集まっているのはナポリ大学の学生が中心。海賊ラジオの活動支援のためにケーキを売っていたりして、なかなかいい雰囲気です。まず会場を暖めたのは、地元のサウンドシステム。ルーツからニュールーツ、渋いオールド・ダンスホールなどをバランス良くプレイしていました。
ちなみに、会場は大学の構内といっても、メイン・ストリートに面した吹き抜けの広場。そのため、会場外にも爆音が鳴り響いています。そこでアルファ&オメガが登場。容赦なくぶっとい低音をブチかましてくれます。スゲエ音!
もちろん観客のなかには3ユーロ(約460円)の入場料の安さに惹かれてやってきた学生も少なくないわけですが、なかには明らかにレゲエ中毒であろうドレッドロックスの連中もいましたし、気合の入ったパンクスの姿もチラホラ。ラスタマンと左翼学生と運動家が混ざり合った会場内の雰囲気がおもしろかった!
3時ごろには疲労のため退散。古ぼけたラガ・ヒップホップを鳴らすタクシーに乗り込み、ホテルへの道がわからず売春婦のおねえちゃんに道を尋ねる運ちゃんに連れられてホテルまで帰還したのでした。

音楽ネタからは外れますが、ナポリは何と言ってもご飯がおいしい!地元民たちも行列を成す老舗ピザ屋「ダ・ミケーレ」などはメニューがマルゲリータとマリナーラしかないハードコアなピザ屋なのですが、ピザの概念が大きく変わるほどの美味しさ!しかも、2人で腹いっぱい食べて10ユーロ(約1600円)。8日間の滞在中、実に4回も行ってしまいました。

とにかく汚くて臭くてうるさいナポリだけど、刺激的なアンダーグラウンド・カルチャーあって、各地からの移民を巻き込んだおもしろい文化的融合があって(サルサやメレンゲのパーティーや、アフリカからの移民主催によるパーティーもたくさんあるよう)、食事がおいしくて、何よりも人情味溢れる土地(バーリなどでも同様ですが、道に迷っているとかなりの確立でおばちゃんが声をかけてくる!) 。今後、ナポリ版の映画「クロッシング・ザ・ブリッジ」が作られるほど、シーンが成熟していく可能性もあるのでは?いやー、ナポリはおもしろい町でした。また行きます!